「問い」「考え方の型」の再設計
「講義に出席する意義は、知識の習得だけではない」という考えもありうる。たとえば、講義に出席すれば、新しい友人を見出せるかもしれない。
しかし、友人獲得の場を、講義に限定する必然性は乏しい。少なくとも、それだけでは講義を正当化する理由にはならない。
以上を踏まえると、現在の大学教育と成績評価の仕組みを、そのまま無修正でAI時代に維持することはできないと分かる。本質的な解決策は、講義や試験の内容を根本的に再設計することしかない。
従来、講義は「知識を伝達する場」として理解されてきた。体系化された知識を教授が説明し、学生はそれを理解・記憶し、成果が試験で確認される。この学習モデルでは、講義への出席と試験成績は自然に結びついていた。
AIがシラバスや教材をもとに要点を整理し、試験問題を予想しうるようになった現在、この前提は崩れつつある。知識の要点を把握して、標準的問題に対応することは、もはや講義に出席しなくても実現できてしまうからだ。
だからといって、講義が不要になるわけではない。問題は、講義の役割を知識伝達に限定してきた点にある。講義が本来提供すべきは、できあがった知識体系ではなく、知識がどのような前提のもとで構造化され、どこに論点があり、どのように問いが立てられてきたかという「思考の枠組み」ではないだろうか。
この理解によれば、必要とされるのは、「問いの立て方」や「考え方の型」を共有する場としての講義を、AI時代に合わせて再定義することだ。
AIに代替できないものは何か
この再定義に対応して、試験の内容も見直さざるをえない。
従来の試験は、正しい答えを再現できるかどうかを測る仕組みだった。しかし、AIがそれを容易に行なえるようになった以上、試験がその能力だけを評価している限り、いま述べたように再定義された講義との結びつきは弱まる。
重要なのは、AIが代替できる能力と、そうでない能力を峻別することだ。AIは、要約や整理、典型的問題への対応には優れている。他方で、前提を疑い、問いそのものを組み替え、複数の解釈を比較し、不完全な情報の中で判断理由を言語化することにおいては、依然として人間の役割が大きい。
この観点に立った場合、極端な提案だが、答えではなく、問いを出す能力を試す試験にしてはどうだろうか?
将来、AIがハルシネーション(幻覚現象)の問題を克服すれば、問いさえ適切であれば答えは得られる。そうであれば、人間は問いを作ることに専念すべきだという発想は、論理的に自然なものだ。

