チャートやニュースに振り回されるだけ
他人の売買判断、群集心理の偏り、政治的な決断、戦争や紛争、中央銀行の金融政策、さらには想定外の事故や破綻。これらは、どれほど努力しても動かせない要因です。それにもかかわらず、人は他の分野で身につけた「努力の癖」を、そのまま市場に持ち込みます。
もっと分析すれば、もっと勉強すれば、もっと情報を集めれば、もっと考えれば、結果は改善するはずだ。そう信じて疑いません。ここで、努力そのものが信仰に変わります。まだ足りない。理解が浅いのだ。自分の分析が甘かった。そうやって人は、自分を責め始める。そして、さらに努力を重ねる。
しかしこの努力は、必ずしも成長にはつながりません。むしろ判断回数を増やし、迷いを深くし、感情を消耗させる方向に働くことのほうが多い。チャートを見る時間は増え、ニュースに振り回され、小さな変化に過敏に反応し、判断を修正し続ける。その結果、人は「動きすぎる」状態に陥ります。
市場において、動くという行為は決して中立ではありません。多くの場合、そこには必ずコストが生じます。手数料だけではない。余計な判断そのものが、次の判断を歪め、機会損失を生み、ミスを呼び込む。努力すればするほど、「余計な行動」が増えてしまう。これが、投資に特有の逆説です。
必要なのは「何もしない努力」
だからといって努力しないほうがいいという話ではない。問題は、努力の方向です。市場では、考える努力や分析する努力よりも先に、待つ努力、何もしない努力、自分の手を縛る努力のほうが、はるかに難しく、そして重要になります。
努力家ほど、「何かしなければならない」「ここで動くべきだ」と、自分を追い込みます。市場は、その姿勢を利用します。努力家ほど、自分の判断を正当化しようとし、間違いを認めにくくなり、修正の名目でさらに深く関与していく。努力が、撤退を遅らせる。これが、投資における最も危険な構図です。
投資が難しい理由は、「努力すれば報われる」という人間の成功体験が、裏切られることです。努力は尊い。しかし市場は、その尊さを評価しません。市場が評価するのは、どれだけ努力したかではなく、どれだけ不用意に動かなかったかだけです。
ウォーレン・バフェットはこのことを象徴する投資家です。
