「自分さえよければ」という考え
しかし、被害を出した新日本窒素肥料株式会社(後のチッソ株式会社)の労働者や労働組合は、むしろ病人たちを厄介者扱いし、差別した。後になって彼らが述べた反省の弁によれば、会社が補償を多くとられると自分たちが困ってしまう、「自分さえよければ」という考えがあったという。
まさに、会社と自己の利害を一体化し、これを社会よりも優先する。〈会社>社会〉という不等号が成立する発想である。
さらに、1980年代末から1990年代初頭のバブル景気の時代になると、商業主義的・拝金主義的な流れがよりいっそう強くなる。「土地転がし」「投機的融資」「脱法スキーム」「地上げ」などが横行し、一部では企業ぐるみで違法行為・暴力団との癒着・恐喝まがいの立ち退き圧力が生じた。官庁・自治体への贈答・接待・裏金や、計測データの書き換え、労災事故の報告抑制などの内向きの組織体質も問題化する。当時の会社員は企業の命令にどこまでも従い、社会に有害だとさえ思われ始めていた。
もともと戦後の会社員には、会社組織を自分のものとして考え、差別をなくし〈仕事〉にも自主的に取り組もうとした側面もあった。だが、会社員たちの会社への貢献意識は国際競争のなかで会社の勝利の手段になっていくことで変質する。結果、会社の利益のためなら手段を選ばないというところにまで行きついた。こうして、〈仕事=社会〉から〈仕事=会社〉、そして〈会社>社会〉へと変貌していったのである。
