仕事のゴールを明確に見定める

【川邉】「私にとって原さんは、スタイリストというだけでなく、エディターの視点まで兼ね備えるクリエイターというイメージ。さまざまな雑誌のテイストや企画の方向性まで理解したうえで、しっかりスタイリングに落とし込んでいる印象があります」

【原】「私の場合は、コレクションのスタイリングというより、雑誌のスタイリストとしての仕事をメインにやってきたからかもしれないですね。『マリ・クレール』や『エル・ジャポン』という外資系のモード誌ならどこかエッジの効いたビジュアルをつくりあげてきたし、『クロワッサン』などドメスティックのライフスタイル誌ではナチュラルで親しみやすい雰囲気を演出してきました」

【川邉】「その方向性の見定めが的確なのだと思うの。ここに原さんのご著書『スタイルを見つける』がありますが、読んでみてもうびっくり。ご自身の衣食住のことが細かに書いてあるけれど、暮らしぶりが本当にストイック。でも、だからこそ先駆者になり得たのではないかと。スタイリストの草分けとして、今まで日本になかった職業を自らつくり上げてきたのは、本当に大変だったと思います」

新しい職業を自らつくり上げるということ

【原】「私がマガジンハウスで『an・an』の仕事をし始めた頃のこと、あれは1973年だったと思います。いろんな雑誌が創刊されるなかで話し合いが行われ、カメラマンやヘアメイクだけでなく、スタイリストのクレジットもきちんと記載しようということになりました。

ただ当時編集部のキャップはふたりいて、ひとりは記載することにしたものの、もうひとりは『必要ない』という方針。私は後者のキャップと仕事をしていたので、最初はクレジットがまったく出ませんでした。おそらくその頃は、スタイリストのクレジットが出ている号とそうでない号と、順番に発売されていたと思います」

【川邉】「ヘアメイクアップアーティストという肩書も、当時はまだ浸透していなくて『結髪けっぱつさん』『髪結かみゆいさん』などと呼ばれることがありました。私はただ髪の毛を結う担当ではなく、クリエイターのひとりとして参加しているのだから、その呼び方に納得がいかず、現場から帰ってきてしまったこともあったわよ(笑)。でも、この職業の地位を上げたいという使命に駆られていたからこそ、この仕事を続けてこられたのかもしれません」