家臣でなく徳川軍を先鋒にした

通常であれば、織田家と浅井家の動員能力には数倍の差があると想定される。ところが、今、信長軍は主力部将を帰陣させ、数千の兵しかいない。かたや、浅井軍には朝倉家からの援軍がある。浅井長政は兵力がほぼ互角だと見極め、「勝てる」と思って、明け方の決戦に備えて移動し、姉川を挟んだ陣を敷いた。

信長が気づいた頃には、退却できない状況に追い込まれていたのだろう。軍議を開き、諸将を見渡したところ、いずれも中堅クラスで、最大の部隊を持つ部将が徳川家康だった。さすがに援軍の徳川軍を先鋒にするというのはメンツが立たないと、織田家中から美濃三人衆を推す声が上がったが、合理的な信長は家康の先陣を決めた。そんなところではないだろうか。

つまり、姉川の合戦で浅井・朝倉軍が織田軍と互角に戦えたのは、かれらを侮って主力部将を帰陣させてしまった信長の判断ミスだったのであるはないか。しかし、兵力がほぼ互角であれば、他国への侵略戦争に明け暮れ、経験値の高い織田・徳川軍の強さは、浅井・朝倉軍の比ではなかったのであろう。

愛知県岡崎市にある徳川家康像
写真=photolibrary/yukio
愛知県岡崎市にある徳川家康像
菊地 浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究者

1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。