大河で吉岡里帆演じる「慶」
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)の主人公は豊臣秀吉(池松壮亮)の弟・秀長(仲野太賀)ですが、その秀長の正妻となるのが、吉岡里帆さんが演じる慶という女性です。
秀長の正妻は「慈雲院」として知られていますが、実名は分かっていません。実名どころか、いつ生まれたのか、いつ亡くなったのかということも不明です。彼女の法名は「慈雲院芳室紹慶」と言うのですが「豊臣兄弟!」の「慶」という名はここから付けられたと思われます。ドラマで美濃の武将・安藤守就(田中哲司)の娘という設定になっているのも、創作でしょう。
秀長はいつ正妻を迎えたのか
慈雲院が秀長といつ結婚したのかについても確かなことは分かりませんが、永禄10年(1567)頃ではないかと言われています。秀長が織田家に仕官した時期は、遅くとも永禄8年(1565)以前と言われておりますので、慈雲院と結婚した時、秀長は信長の直臣でした。そのことから、慈雲院の父も織田家に仕えていたのではないかとも考えられます。慈雲院の父を後に秀長重臣となる神戸伝左衛門秀好とする説もあります。
秀長と慈雲院の間には与一郎という男子が生まれました。ところが2人の間に生まれた与一郎は天正10年(1582)、つまり本能寺の変が起こった年に悲しいことに早世してしまいます。与一郎が亡くなった時、彼は幼名ではなく仮名を名乗っており、元服していたと考えられます。
出家後は「慈雲院」、謎多き女性
天正13年(1585)、秀長は大和国を加増され、大和郡山に入りますが『多聞院日記』(戦国から江戸初期の興福寺多聞院院主の日記)の天正13年9月20日条には一昨日「濃州女中」が郡山に入ったと書かれています。この「濃州女中」こそ慈雲院と考えられています。「濃州」とは美濃国(現在の岐阜県)のことですが、秀長は「美濃守」を名乗っておりました。よって慈雲院は「濃州女中」と呼称されたのでしょう。
その後、時は流れ、天正18年(1590)には、秀長は50歳となっていました。同年正月頃より、秀長の病が悪化しますが、その際、「女中」(慈雲院)は興福寺に病平癒の祈祷を依頼しています(『多聞院日記』天正18年4月27日条)。慈雲院は秀長の病が重篤になった際には祈祷をたびたび指示しています。秀長への想いの深さというものが窺えます。しかし、たび重なる祈祷の甲斐なく、秀長は天正19年(1591)正月に病死します。