激しい競争があることを、神に感謝すべきだ

鈴木修は2007年12月5日、日本外国特派員協会の合同会見にて、こんな発言をしている。

「激しい競争があることを、神に感謝すべきだ。そして、何より大切なのは、激しい競争の中で勝つことである」

外国人記者からインド市場の競争激化について問われて答えたものだが、次のように続けた。

「グローバル企業には、常に競争がある。競争とは、人間社会にはつきものだ。兄弟の間でさえ、戦いはある。しかし、競争がないと人間はダメになる。競争のない世界なんて、人間ではない。成長できなくなるから。徹底的に戦うという信念を、僕は持っている」

鈴木修氏「お別れの会」に飾られた遺品。生粋の「ドラキチ」だった。
撮影=プレジデントオンライン編集部
鈴木修氏「お別れの会」に飾られた遺品。生粋の「ドラキチ」だった。

ホンダvsスズキの熾烈な「B登録」合戦

もっとも、スズキも熾烈なシェア競争の渦中にいた時期はある。ビール戦争に負けない、軽自動車戦争に鈴木修は直面した。

軽自動車戦争は、1997年にホンダが国内販売80万台という目標を達成したあたりから始まる。「自社登録(軽は届出)」が横行していったのだ。

自社登録とは、主にディーラーが販売台数を増やすために、実際には客がいないのに自分名義で登録してしまう行為。B登録などとも呼ばれ、登録あるいは届け出された車は、新古車(未使用車)として中古市場に出回る。

翌98年10月には軽自動車の規格改定があり、軽のボディーは一回り大きくなると需要は拡大。販売競争は激化し自社登録は大手を振り、市場は乱売に陥った。

ホンダの元幹部は、「B登録をホンダが本社から指示したのは97年の一回だけ。その後は各販社が自分たちで勝手にやった」と話した。都道府県への登録ではなく、市町村への届け出で済むだけに、軽自動車の自社届出は右肩上がりになった。

軽が規格改定され、いよいよ競争の火蓋が切られた99年6月、鈴木修は筆者に語った。

「自社登録は、自社の体力に応じてやればいい。本当はみんな、自社登録なんかやってはいけないと思っている。けど、みんなやっているのは実態だ。他社の社長は『ウチはやってない』と言うかもしれないが、社長室で役員の報告を聞くだけの社長には、市場で何が起きているのかはわからない。現場をこの足で歩いている私と、社長室にこもっている社長とを一緒にしてもらっても困りますがね」

しかし、軽自動車戦争が激化していった2006年ともなると、鈴木修はトーンを変えた。

自社登録について、「お行儀の悪い売り方」と表現するようになる。ちなみに06年は06年度で、軽自動車首位の座をダイハツに明け渡した。

軽自動車税がそれまでの1.5倍の年1万800円に上がったのは2015年4月。この半年後の15年秋から「スズキはお行儀の悪い売り方(自社登録)をやめた。他社は知らないが」と鈴木修は話した。「軽自動車が、白物家電の二の舞になるのではという危惧をもった。一台を大切に売ろうとする考えが欠如していると気づいた。(安売りの)秋葉原で軽が売っているという噂もある」(鈴木修)。

こうして軽自動車の乱売は終焉していく。スズキが再び軽の首位に立ったのは2023年度。ただしこれは、ダイハツに認証検査不正による出荷停止があったためだった。24年度もスズキは首位をキープ。