偽りのない感謝の気持ち

その後、明治44年(1911)には、ビスランドは夫と一緒に世界周航の旅に出て、その途中にセツらハーンの遺族が住む東京の西大久保の家を訪ねている。ちなみに、夫のウェットモアは、外務大臣として日英同盟の成立に努め、日露戦争のポーツマス条約を締結し、条約改正を成功させた小村寿太郎と、ハーバード大学で同級生だったそうだ。

ビスランドは未亡人になってからも、大正11年(1922)に来日し、セツのもとを訪ねている。来日の回数はハーン死後だけで3回におよんだ。

広大な邸宅には日本庭園が設えてあったそうで、ビスランド自身、茶道の嗜みがあったという。ハーンと話が合うわけである。この来日の前年には、ワシントンD.C.で第一次世界大戦後の国際軍縮会議であるワシントン会議が開かれたが、その際、日本から送られた3人の全権代表のうち、加藤友三郎と徳川家達を自邸に招いて饗応したといわれる。

セツは手紙を通して、また、会ったときには直接、かぎりない感謝の念をビスランドに伝えている。もしかすると、夫の「心の恋人」への嫉妬心もあったかもしれない。しかし、夫の死後にもこれほど尽くしてくれるビスランドに対しては、偽りのない感謝の気持ちをいだいていたのではないだろうか。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家

神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。