ヤマタノオロチ伝説の神社で行った占いの結果
松江市内の郊外(松江市佐草町)にある「八重垣神社」は縁結びで名高い。なにしろそこは、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して稲田姫を難から救い、2人が結ばれたと伝わる場所なのである。このため出雲の縁結びの大親神として、古くから夫婦円満にも良縁結びにもご利益があるといわれている。
とくに神社裏手の小さな森のなかにある「鏡の池」は、稲田姫が八岐大蛇から逃れて隠れたとき、ここの水を飲料とし、また自分の姿を映していたと伝わる池だ。それにちなみ、遅くとも明治時代には「縁占い」が行われていた。
占う方法は、池に占い用紙を浮かべ、その上にそっと硬貨を乗せるというもの。それが早く沈めば縁が早く、遅く沈むと縁が遅く、近くで沈むと身近な人と縁があり、遠くで沈むと遠方の人と結ばれる、とされている。
NHK連続テレビ小説「ばけばけ」の第1週「ブシムスメ・ウラメシ。」(9月29日~)では、5日目の放送で、松野トキ(髙石あかり)は女工仲間2人を八重垣神社に誘い、縁占いをしてみた。そろって鏡の池に1厘銭を載せた紙を浮かべたのだ。すると、2人の仲間の紙はすぐに沈んだが、トキの紙はしぶとく浮かんで、池の向こう岸まで流れても沈まない。そのまま第2週「ムコ、モラウ、ムズカシ。」(10月6日~)に引き継がれたが――。
友人「お相手は異人さんかもね」
結局、トキが浮かべた紙が沈んだのは10分後だった。貧しさから抜け出すには「ムコ様をもらう」しかないと考えていたトキには、ショックだったのはいうまでもない。じつはトキのモデルである小泉セツも、少女時代に友だちと連れ立って八重垣神社を訪れ、この縁占いをしたことがあるという。
セツのひ孫の小泉凡氏は『セツと八雲』(朝日新書)にこう記している。「連れ立って行った友だちの紙は、ほどなく沈みました。セツの紙は浮かんだまま池の対岸近くまで漂い、ゆっくりと沈みました。その様子を見ていた友だちにこんな風にはやされます『セツさんは、きっと遠くへお嫁さんにゆくのでしょう。もしかしたら、お相手は異人さんかもね』」。
この占いは結局、大当たりだったことになるが、その前にセツは一度、日本人と結婚している。
家が零落したセツは「ばけばけ」のトキと同様、宇清水傳(堤真一)のモデルである小泉湊がはじめた機織り会社で働いていた。ちなみに、この小泉湊夫妻がセツの実父母で、「ばけばけ」の松野司之介(岡部たかし)とフミ(池脇千鶴)のモデルである稲垣金十郎とトミは、セツの養父母である。セツは生まれて間もなく、小泉家の遠縁で子どもがいなかった稲垣家の養子になったのだ。
しかし、当初は好調だった機織り会社も、所詮は武士の商法で次第に傾き、ついには倒産してしまう。それでもセツは機織りをして稼ぎ、家計を支えた。彼女が織り上げた織り見本は18ページ、200種類にもおよぶという。だが、やはり結婚というか、それなりに資産がある婿をもらうに越したことはない。
セツが18歳のとき、それが実現するのである。