愛子内親王は学習院で和歌を研究
秋篠宮家では、長女であるかつての眞子内親王が、高校までは学習院に通ったものの、大学は国際基督教大学に進んでいる。次女の佳子内親王も、学習院大学に入学したものの中途退学し、改めて国際基督教大学に進学している。
悠仁親王は一度も学習院に入ることなく、大学に進学しようとしている。これが、近代の皇室において異例であることは間違いがない。
現在の学習院大学は総合大学で、5つの学部を擁しているが、愛子内親王が卒業したのは文学部日本語日本文学科であった。父親である現在の天皇は、同学部の史学科の出身である。
しかも、ここが相当に重要なことになるが、愛子内親王は和歌について研究し、卒業論文は「式子内親王とその和歌の研究」というものだった。式子内親王は、平安時代末期の後白河天皇の皇女で、当時の代表的な女流歌人だった。
和歌は、漢詩と対照される日本語の詩ということになるが、和歌を詠むということは古来から天皇や公家のたしなみとされてきた。だからこそ、式子内親王も多くの歌を詠んだのであり、天皇や上皇によって撰者が指名される勅撰集に多くの歌が選ばれてきた。
天皇について詠うことが皇后のつとめ
宮中において、和歌がいかに重要かは、毎年正月に開かれる「歌会始」に示されている。これは鎌倉時代のはじめから続く皇室の伝統行事である。
近年の歌会始において抜群の存在感を示してきたのが、現在の美智子上皇后である。最後の歌会始は平成31年になったが、「お題」は光で、上皇后は「今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇のみな美しく」と、皇后を退くことの感慨を詠っていた。
特徴的なのは、その前年の歌(お題は語)で、それは、「語るなく重きを負ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ」という形で、譲位する当時の天皇の心情が詠われていた。
上皇后の歌には頻繁に「君」、つまりは明仁天皇のことが登場した。それは、天皇について詠うことが、皇后としてのつとめであるという自覚にもとづくものであろう。
それは、皇后にしか果たし得ない特権であり、だからこそ上皇后を現代において並ぶ者のない最上の歌人としてきたのである。歌集も刊行されてきた。