ラジオに出ると「ちやほやされていい気になるな」と注意された

職場に男と女がいる場合、男が上司で女はその下で補助として働く形ができ上がっていた時代のことであるから、内外ともに女の裁判官は異質というか、異様な存在であったのだろう。ことに一般の人々は男であっても裁判所、検察庁などは何となく近より難く、いかめしいところと思っている。

そんなところにどういうつもりか女が乗りこんで来た。変わった女だとの先入観からか、私どもの時代はこうした既成の見方にしばしば悩まされ、反面稀少価値的扱いもされた。男なら裁判官ということだけでは新聞のはしにも出ないのに、女なるが故にすぐ新間に出る、ラジオ(この時代まだテレビはない)に出る、有名人面するな、ちやほやされていい気になるなとやっかみ半分の注意もされたものである。

先輩、同輩の裁判官諸氏も、女が裁判官になることについてはそれぞれ意見があったようだ。大体は温かく受け入れて下さった、と言えるかもしれないが、中には女が合議体に入ると合議しにくいから――まだ経験していないのに――と、頭から自分の陪席として入れることを拒否する裁判長や、もっと率直に「ぼくは女が裁判官になるのは反対だ、第一被告人(刑事裁判で訴追される人を被告人という)が納得しないよ」などという男性裁判官もいた。裁判の世界を男の聖域視する考えは、そう簡単にはなくなるものではない。既成の社会の枠を破ろうとする者に、風当たりが強いのはやむを得ないことだったと思う。

遺族提供
永石泰子氏。1982年6月、明治記念館にて

法律の世界は男女平等のはずなのに「女だから」配慮された

裁判官任用の鍵を握る最高裁判所の事務総局の人事担当者や、司法研修所教官により、女性の任用が色々な理由をつけて差別的取扱いをされたことは何回かあった。とくに夫の仕事の関係上転勤がままならぬ場合とか、妊娠、出産のため仕事を休むということなど、女性裁判官がネガティブな存在と見られる大きな原因となったようである。

また、勤務地の裁判所の裁判長によって、女であるからという理由で仕事の配転に男性裁判官と違った配慮がされることも、はじめのうちはそう珍らしい(※原文ママ)ことではなかった。それは所長の人柄とか、個人的な考えによることが多く、その配慮も本人にして見れば差別ではなく好意であったのかもしれない。事実、大たいは温情厚く、紳士的な方々であったし、女性裁判官を丁重に扱ってくれた。

しかし、同じ試験を受け同じ修習を終え、同じ任用方法を経て第一線に出た者にとって、裁判官としての貴重な経験を得る機会の喪失にもつながることになるのである。一例として、私自身の判事補時代のある小さな経験を披露しよう。