勝家が拠る越前北庄城は雪深く、冬のあいだ出陣できない。
その隙をついて秀吉は、いちどは勝家に譲った長浜城を奪い、信長の葬儀を執り行い、戦の準備を固めた。
そして春になって勝家が出陣してきたところを、賤ヶ岳の戦いで撃破する。
敗れた勝家は、北庄城に逃げ帰るが、羽柴軍に攻囲され、自害を覚悟する。
勝家はお市の方に「3人の娘と逃げろ」と言うが、お市の方は納得しない。攻める側の秀吉も、お市の方に城から出るように説得したが出るはずがない。信長の妹としてのプライドが許せなかったのだ。なにより秀吉を嫌っていた。
お市の方は、3人の娘を逃がしたうえで勝家とともに自害して果てる。お市の方、37歳くらいだった。
お市の方は、悲劇のヒロインとして見られ、同情される。二度、政略結婚させられ、いずれも夫を亡くしているから無理もない。
だが見方を変えれば、ふたりも夫を死なせ、国を傾けるほど政治の混乱を招いた「傾城の美女」ともいえる。
浅井長政も、柴田勝家も、政略結婚で嫁いできたお市の方をことのほか愛したという。
冒頭でも書いたが、お市の方は美人。おまけに聡明だ。政略結婚で嫁いできたお市に惚れ、うつつを抜かす。
そして、判断を誤る。
だからこそ、浅井長政も柴田勝家も、その身を滅ぼすことになったのだ、と評すのは、いささか酷だろうか。