カフカが綴った「僕たちが必要とする本」

では、人間を人間たらしめるこの知とは一体何なのか。誰もがその人生で、毎日、同じことを繰り返すことに耐えられず、何かを発見したいのでしょうか。

作家、カフカはこの驚異への憧憬しょうけいを友人オスカー・ポラックにあてた手紙のなかで、「斧」にたとえています。

僕たちの読んでいる本が、頭蓋のてっぺんに拳の一撃を加えて僕たちを目覚ませることがないとしたら、それではなんのために僕たちは本を読むのか? 君の書いているように、僕たちを幸福にするためにか? いやはや、本がなかったら、僕たちはかえってそれこそ幸福になるのではないか、そして僕たちを幸福にするような本は、いざとなれば自分で書けるのではないか。しかし僕たちが必要とするのは、僕たちをひどく痛めつける不幸のように、僕たちが自分よりも愛していた人の死のように、すべての人間から引き離されて森のなかに追放されたときのように、そして自殺のように、僕たちに作用するような本である、本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う。(『決定版カフカ全集9』)」

人類が歩いてきた道を照らす記録の塊

人類は、5000年にわたって「僕たちの内部の凍結した海を砕く」驚きや発見を記録し続けてきました。良くも悪くも、私たちが知っていることは、何らかの形で記録に残っています。真っ暗な宇宙に浮かぶ星のように、「本」と呼ばれた記録の塊が星座のように連なって、人類が歩いてきた道を照らしています。

最初はメソポタミアで粘土に。ついで古代エジプトではカヤツリグサの一種、パピルス草の茎に。そしてペルガモン(現トルコ)では獣の皮に。インドやスリランカ、タイでは木の葉に。中国では骨や亀の甲羅に、ついで木や竹、絹に描かれました。

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やがて中国で「紙」が誕生し、グーテンベルクの印刷機の発明のおかげで私たちは皆、読者になることができました。そして、21世紀、タブレット型端末の出現により、私たちはポケットに無限の本をおさめられる世界に生きています。

本を開くと未知の世界の扉が開きます。読みはじめるまで見も知らなかった存在が、読み終わると既知の存在へと変化している驚きは何度味わっても奇跡としか思えません。