どんな業界でも開発者がやるべきことは同じ
「なるべくお金のかからないクルマに乗りたい」
EV車はガソリン車よりもエネルギー源に対するお金はかからない。それでEV車を選ぶ人がいる。
クルマの開発とは一部箇所の性能をアップするとか、コストを下げるだけを求めることではない。使う人間のことを知ろうと思わなければみんなが乗りたくなるクルマはできない。機械や技術の追求ではなく、「人間の困りごととは何か」を考えない限り、新しいモビリティは生まれない。
これはモビリティだけのことではない。半導体でもロケットでも、医薬品でも、開発者は誰もが使う人のことを考えなくてはならない。メーカーの開発者がやるべきことは新しい技術の追求ではなく、困りごとの解決だ。そして、困りごとを解決するために新しい技術がいる。
技術やライバル社を思い浮かべても人が必要とする技術は生まれない。
わたしはある企業が画期的な技術的マイルストーンを達成したことを知っている。これまでよりも格段に技術性能が上がったのだが、それがどういった人間の困りごとを解決しようとしているのか、今のところはまだ説明されていない。技術それ自体の進化だけを追求しても、人はそれを利用する方法がわからなければ使いようがない。機能だけがあって、直接の用途がない技術開発をしてもそれが世の中に出ていくことはない。
技術開発の大本は人間の困りごとを解決しようとする意志に他ならない。学園では人間について学ぶことを教えている。「知識や技術よりも人間力を高める」教育に力を入れている。
ケンタッキー工場を見学したときのこと
わたしは10年以上、定期的にトヨタの生産現場へ出かけて行って、現場の変化を見ている。1時間近くも生産ラインのそばで見学していたこともある。作業者はやりづらいかなと思ったのは最初のうちだけだ。彼らは自分の仕事を考えながら自由に仕事をしている。「目の前の作業や設備のどこをカイゼンしようか」と考えながらやっているから、他人が見ていることなど気に留めていない。
これは海外のトヨタ工場ほど顕著だ。ケンタッキー工場でラインを見ていた時、目が合うと、サムアップしてくれた作業者がいた。わたしが見つめていたことなどまったく気にしていなかった。日本人の方が自意識過剰なのかもしれない。ケンタッキー工場の作業者はわたしがいたからといって精勤する真似をすることもなかった。時間が来たら、すぐに休憩に行った。他人の視線など気にせず、自分の仕事に集中していた。
ケンタッキー工場の上司はラインにいる部下に向かって叱責することもなかった。かといって、「素晴らしい」「やあ、いい仕事だ」なんて声をかけることもなかった。上司は様子を見守っていた。褒めることもなく、叱責することもなく、教えることもなく、じっと見守る。それがトヨタの現場教育だ。上司は働く部下をリスペクトし、評価する。だからといって現場で褒めたり持ち上げたりすることはない。
