「目に見えない死因」を訴えてきた

厚生労働省は、時間外労働時間がおおむね「発症前1カ月間で100時間超」「発症前2〜6カ月間で1カ月当たり平均80時間超」を「過労死ライン」としている。

また、2001年には、これらの長時間労働や著しい負荷から発症した慢性疲労症候群も、認定の要素として盛り込まれるようになった。今日では長時間労働以外にも、「労働時間以外の負荷要因」として次のような認定基準が設けられている。

・拘束時間の長い勤務
・休日のない連続勤務
・勤務間インターバルが短い勤務
・不規則な勤務、交替制勤務、深夜勤務
・出張の多い業務
・その他事業場外における移動を伴う業務
・心理的負荷を伴う業務
・身体的負荷を伴う業務
・作業環境(温度環境・騒音)

脳出血や心筋梗塞を誘発するような過労やストレスというものは、解剖しても目に見えない。私が現役の頃には、目に見えない死因は認められなかったのである。

現在でも、どれだけの過労があっても、勤務表にそれが表れていなければ認められることは難しい。だから、勤務表の提出は重要である。また、立ち入り調査で過度な残業が日常化している実態がバレるのをおそれて、労災を申請しない会社もあるという。

しかし昭和の時代から、遺族の方々は苦労して訴えてきたのである。過労という見えない要因が認められるようになったのは、彼らが闘い続けた結果である。

過労死
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1950年代に相次いだ「ポックリ病」の正体

30代ぐらいの若い人が、寝ているうちに「ううー」と唸って急死してしまうという事例が、相次いだことがあった。1950年代のことである。

東京都監察医務院に取材にきた新聞記者にコメントを求められた。

「元気な人の突然死があったとき、解剖しても体にはどこにも疾患はないし死因がわからない。ポックリ死んじゃうんだよ」と私が言ったのがきっかけで、「ポックリ病」という言葉が使われるようになった。

しかし、ポックリ病は状態、症状を表す用語で死因にはならないので、急性心機能不全という診断名をつけたのである。女性よりも男性が多い。しかも、痩せた男性よりも屈強な男性に多く見られた。