労基署は「病気」として認めなかったが…

その妻の姿に胸を打たれた。毎日身を粉にして働いて、寝るためだけに家に帰る日々。休日も働き、無論週末に家族で出かけることもない。その末に突然死。残された家族の悲しみは計り知れないものがある。

「そういうことでしたら、意見書を書き、労働基準監督署に掛け合って、労災と認められるようにできる限りのことはしますので」と私は答えた。そして、会社から勤務表を取り寄せ、過労状態にあったことを立証した。

その結果、本人にはもともと脳出血を起こす要因があったが、このような勤務状態の過労が脳出血の発病を早める要因になった。過労は発病を誘発した重要な引き金になっている、という意見書を書いて提出した。

しかし、脳出血は病気であり、災害事故死には該当しないとして認められず、残された妻子と共に涙を流した。このような意見書を現役時代に何通も何通も書いた。ちょうど、その頃は高度経済成長期で、会社もどんどん大きくなっている時代だった。いくらでも仕事があった。だからこの男性のように、休みなく働き続け、会社の犠牲になって亡くなる人が多かったはずだ。

私が監察医を辞めて2年ほど経った頃だった。ある日、新聞を開くと「過労死を労災として認める」という記事が目に飛び込んだ。自分の過去の努力が認められたと目頭が熱くなった。小さなアピールの積み重ねが実った。弱者の喜びが聞こえてくる。

少数であっても、労災認定されるように

1989年、私は東京都監察医務院を退職した。1988年に設置された「過労死110番」により、「過労死」という言葉が広く認知されるようになっていたが、引退から1年、1990年3月に東京では初めてとなる「過労死110番」による労災認定が出たという記事を目にした。

それを見て、私は、感慨深い思いを抱いた。自分が今まで書いてきたたくさんの意見書が労働基準監督署を動かす要因になったのかもしれないと思ったからである。とはいえ、当時は全国的に見ても認定されるのは少数であった。

過労死の労災認定は、「脳・心臓疾患の認定基準」によって行われる。あまりにも長い労働時間や仕事上の著しい負荷がたまって発症した脳や心臓の疾患(脳血管疾患や虚血性心疾患)などで命を落とした場合も労災として認められるようになったのである。