インドの戦略思想を著した叙事詩

S・ジャイシャンカル外相は自著『インド外交の流儀』で、次のように記している。

「……インドの視点を理解するのに困難を感じるとしたら、それはかなりの部分でインドの思考プロセスに対する無知から来ている。(中略)『マハーバーラタ』と言えば一般的なインド人の思考に深い影響を及ぼしている叙事詩だが、インドの戦略思想について記されたアメリカの入門書が同書に触れることすらしていないのは、そのことを如実に示している」
「これは確実に改められなくてはならない。なぜなら、多様な文化に対する理解を促進することが多極世界における特徴の一つだからだ。もう一つの理由は、インドと世界が現在直面する困難の多くは、これまででもっとも壮大な物語の中に類似性を見出すことができるという点にある」(ジャイシャンカル2022)
『インド外交の流儀』を著した第2次モディ内閣の外務大臣スブラマニヤム・ジャイシャンカル氏
『インド外交の流儀』を著した第2次モディ内閣の外務大臣スブラマニヤム・ジャイシャンカル氏(写真=IAEA Imagebank/Flickr/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

引用部分でも触れられているように、これは『マハーバーラタ』を念頭に置いたものだが、同じことは『実利論』についても当てはまる。

古典にもとづく隣国との外交観

実際、ジャイシャンカル外相の2冊目の著書『インド外交の新たな戦略』では、もうひとつの叙事詩『ラーマーヤナ』のエピソードが多く紹介されているのが特徴だが、本書でも指摘したように、「マンダラ的世界観」についても論じられており、これが『実利論』を念頭に置いたものであることは明らかだ。

この世界観を通じて今日のインド外交を捉えると、多くの展開が腑に落ちることは本書の第6章で示したとおりである。とりわけ直接国境を接する国々と「拡大近隣」諸国に対する外交は、マンダラ的世界観でかなりの部分を説明することができる。

その先に広がる大国間外交についても、「隣国の隣国」「隣国の隣国の隣国」といった位置づけに厳密なかたちで当てはまらなくとも概念として捉えることで多くの示唆を得ることができるだろう。とくに自国と隣国の関係において域外の「中立国」が担う役割の説明は非常に興味深いものがある。

これ以外にも、インドの外交関係者や軍人、政治家の文章を読んだり話を聴いたりしていると、古典を踏まえた内容が随所に現れることに気づかされる。