室町時代とはどんな時代だったのか。国際日本文化研究センター助教・呉座勇一さんは「同調圧力が比較的希薄で、人も物も好き勝手に動いていたので何が起こるか予想できない時代だった」という。『室町アンダーワールド』(宝島社)より、作家・垣根涼介さんとの対談をお届けする――。

逆賊が作った幕府は否定される「べき」

【呉座勇一】室町時代のイメージの移り変わりについて研究者の立場から触れてみます。室町時代や室町幕府の評価が低かったのは、戦前以来のイメージがあるからです。

それはまさに「べき論」の話でして、足利尊氏というのは天皇に逆らった逆賊である、これは大変けしからんと。そんなとんでもないやつが作った幕府など、最初から腐っているという評価が前提にある。だからこそ、室町時代の政治の研究はなかなか進まなかった。

ではどうしたかと言うと、文化の方に研究の方向が振れたわけです。東山文化の研究、つまり室町時代の文化の研究は戦前から進んでいました。茶の湯や枯山水に代表される日本的な「わび・さび」の文化は、この東山文化に始まったという結論に至るわけです。

枯山水
写真=iStock.com/AndreasKermann
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つまり、室町時代は素晴らしい日本文化が生まれた時代だと評価して、政治の話にはあまり触れない。そもそも逆賊尊氏の作った政権なのだから、評価できないわけです。

戦後になっても結局、よくわからない

では、皇国史観が否定された戦後になるとどうなったか。マルクス主義史観が全盛となったわけですが、事態はあまり変わらなかった。マルクス主義史観的にいえば、足利尊氏は天皇に逆らったわけですから、立派な革命家でなければ困るわけです。革命家であってほしいというべきか。

ところが尊氏というのは何を考えているのかよくわからない。つかみどころのない人物です。革命家として少しもカッコよくない。せっかく後醍醐天皇に逆らったのに、革命を起こすどころか後醍醐と仲直りしようとしたりして、革命家らしくない。

【垣根涼介】だって、そういう人なんだから(笑)。

【呉座】そうなんです。本人にその気がないからしょうがないんですが、マルクス主義の歴史学からすると、非常に都合が悪いし、理解もできない。で、その後の室町時代を見ていくと、金、金、金の時代になっていく。マルクス主義的な「べき論」の世界でも評価はできないわけです。