人はなぜ富山に向かうのか

そういう筆者も昨年だけで4回、富山を訪れている。その前年も3回。私は食関係のディレクションを生業(なりわい)にしており、仕事でローカル都市を訪れることも多い。が、富山に関してはほとんどがプライベートの旅だ。そして目的はといえば、食べる&飲む、これ一択。

海の幸と日本酒に舌鼓を打つことは多いけれど、イノベーティブなレストランから雑居ビル内のワインバー、老舗のもつ煮込みうどん店や町中華、駅ナカの回転寿司店、朝7時から営業する古い喫茶店まで、あらゆる店にふらふらと吸い寄せられている。そしてそれらの店では、旅人だからという理由で大仰な郷土料理を食すのではなく、地元の方々が日常の中で召し上がるものや、料理人によって新たに再構築された土地の味わいを楽しむのが常だ。

駅ナカの人気鮨店「すし玉」の富山5貫盛りと白海老の唐揚げ。これだけでも十分に富山の幸を堪能できる。
筆者撮影
駅ナカの人気鮨店「すし玉」の富山5貫盛りと白海老の唐揚げ。これでだけでも十分に富山の幸を堪能できる。

ツーリストにまったく媚びていない

ニューヨークタイムズの記事では、富山市内の電車マニア御用達喫茶店や渋いワインバーが例として挙げられていた。選者のクレイグ・モド記者のおすすめ店と私がこれまでに行った場所は富山市ガラス美術館以外かぶっていないが、インタビューに応じた氏が「私はB面が好きな性格なのです」と答えており、「富山=B面」とするのはいささか失礼にも思えて心から賛同はしないものの、なんとなく気持ちはわかる。

誤解を恐れずに私なりの解釈を申し上げると、富山という町はツーリスト至上主義ではなく特別視もしていない。ゆるキャラだB級グルメだといった観光戦略で無理やり勝負することもなかったし(あったかもしれないが、幸か不幸かそこまで効力を発揮していない)、過度なインバウンド対策もラグジュアリーな外資系ホテルもなく、どこに行っても適度にすいている。

富山は、旅人に媚びていないのだ。そこがいいのだ。