こけしやカツオと変わらない

ところが、そこに平成3年(1991)、四重五階地下一階で最上階の屋根には金色の鯱をいただいた白亜の天守が建てられたのである。外観は近隣の大垣城を模したとのことだが、大垣城の外観は江戸時代初期に整備されたものであり、時代がまったく異なる。

中は歴史資料館になっている墨俣一夜城
筆者撮影
中は歴史資料館になっている墨俣一夜城

天守が出現する以前に廃城になった土の城の跡に、石垣上にそびえる高層の天守が建てられた例は、昭和42年(1967)に完成した亥鼻城(通称・千葉城、千葉市中央区)など、ほかにもある。そんななかでも、墨俣城の天守の場合、建つことになったきっかけが特異だった。竹下登内閣の発案で昭和63年(1988)から翌年にかけ、国が地域振興を旗印にして各市区町村にばら撒いた「ふるさと創生基金」が契機だったのである。

その1億円をもとに総工費7億円をかけて建てられたのが、この鉄筋コンクリート造の天守だった。内部は歴史資料館として利用されているので、どこかの自治体がつくった純金のこけしやカツオよりはマシかもしれない。しかし、多くの人に歴史を誤解させることを考えれば、正負の価値は相殺され、こけしやカツオと変わらないようにも思えるが。

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