「要介護になったときのリスク管理ができるのは一部の人」

そのきっかけとなったEGさん、FOさんの話を挙げよう。2人とも介護事業所の運営者で、50代である。

【EGさん】「将来、何かあったときのために備えようなんて考える人は、知識人だと思う。そういう人たちは、無様ぶざまな老後になりたくないと考えて、ある程度リスク管理ができる。

でも、一般の人は全然そうじゃない。行き当たりばったりで、まさに本に書いてあったように『ヨロヨロドタリ』。ヨタヨタ期が長くってね。

だから私は、備えより、年齢が20歳ぐらい違う人たちとのつながりが必要だと考えて、頑張ってる」

【FOさん】「一般の人が“備える”というのは難しい。困難というか、ちょっと無理。備えることができる人は、もともとある程度の力があるんだと思う。

でも、普通の人は、もう何も思いつかない。だから、考えて備えることができない人にとっては、つながり自体が力になると思うのです。別の人が持つ力を使うというか」

備えができないからこそ、人とのつながりが重要に

2人は、「人は、倒れたときのことを考え、備える力を持っている」という私の前提そのものが、いまの高齢者の現実にそぐわず、そうした意識を持つ必要性を説いても、実効性がない。自分でその力を持つことができない人にとって、必要なのは、その力を持つ人と「つながる力」だという。

春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)
春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)

多くの支援者の反応や、この2人の意見を聞いて、「高齢者自身が、備える力を持っている」という前提をいったん取り下げた。そしてもう一度、原点に返って、「ヨタヘロ期」の高齢者が在宅生活を続けて、その生活がギリギリのところまでいった場合、どのような形になるのか、それを知りたいと考えるようになった。

また、それを知ることは、「『日常生活を行う能力がわずかに低下し、何らかの支援が必要な状態』になっても自宅で暮らし続けたい」と希望する多くの高齢者にとって、ヨタヘロ期の在宅生活がどのような状況になるのか、そしてそれはどういった形で可能となるのかを知ることにもなり、意味あることではないかと考えるようになった。

そのうえで、いまのところ元気な高齢者は、その時期の生活を支えてくれる人を持っているのかどうかについても知りたいと考えるようになった。

春日 キスヨ(かすが・きすよ)
社会学者

1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専門は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書に『百まで生きる覚悟 超長寿時代の「身じまい」の作法』(光文社新書)、『介護とジェンダー 男が看とる 女が看とる』(家族社、1998年度山川菊栄賞受賞)、『介護問題の社会学』『家族の条件 豊かさのなかの孤独』(以上、岩波書店)、『父子家庭を生きる 男と親の間』(勁草書房)、『介護にんげん模様 少子高齢社会の「家族」を生きる』(朝日新聞社)、『変わる家族と介護』(講談社現代新書)、『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)など多数。