「子どもに迷惑をかけたくない」という親たち
しかし、高齢でも元気な間は、そんなときが来ることを予期せず、「親子で親の老後について話し合うことをしない」。その理由が「子どもに迷惑をかけたくないから」「頼ることを想定していないから」。そんな人が多いというのは不思議なことである。
いったいそう考える人たちは、自分の人生の最後に控える長い「老後」を、どうやって生きていくつもりなのだろうか。
じつは介護に関する研究を長く続けてきた私が、研究テーマを70代~100歳代までの在宅で暮らす高齢者の生活研究に変え、70代の「元気高齢者」に話を聞くなかで、驚き、不思議に思ったのもその点だった。
なぜなら、「介護」研究を続けるなかで私が出会ってきたのは、自力で生活する力を失い弱った高齢者が家族や支援者に支えられる生活で、「人には支えられて生きるときが必ず来る」ということを前提とするものだったからだ。
そこで、80歳以上でも在宅暮らしを続ける高齢者の話を聞き、分析し、それをもとに、その時期の高齢者の生活を「ヨタヘロ期」と名づけた。そして、まだ若い元気なうちから、いざというときのために、倒れたときの対処法、生活の知恵、医療・介護の制度的知識などを「備える」必要性を訴え、本(前著『百まで生きる覚悟――超長寿時代の「身じまい」の作法』光文社新書、2018年)にまとめた。
介護の現場から「いまの高齢者は備えなんて無理」という声
その本を、長年、高齢者支援職を続ける人たちにも読んでもらった。
だが、その反応は意外なものだった。「いまの高齢者は“備え”なんてできない、無理」という声が多かったのだ。
私は考え込んでしまった。いったいなぜ、長年、誠実に高齢者を支援してきた人たちが、「備えなんてできない」と言うのだろうか。私が立てた「備えが必要」という前提が、高齢者の実情と離れていたのだろうか。それが実情にそぐわないとすれば、どんな視点が必要なのだろうか……。
そうしたことを考えていくうえで、参考になったのが、信頼する2人のベテラン支援者、EGさん、FOさんの意見だった。2人の考えを聞くうちに、いざというときのための生活知識や制度に関する情報や知識を、「備え」として持つことは重要だが、それと同時に、元気な高齢者や子世代に必要なことが他にもあると考えるようになった。