「子どもの気持ちを盾に」黙らされてきた母親たち

9章の「子どもはどう思う?」では、母親が後悔を語ることで起きる子どもへの影響にもくわしく触れている。

《これまで母親たちが後悔を言葉にできなかったのは、こうして「母親の幸せ」と「子どもの幸せ」が二者択一のように天秤にかけられ、子どもの幸せを優先させるべきだとする力が働いてきたからなのだろう。見方を変えればこれは、子どもの気持ちを盾に母親たちが黙らされてきたのだと捉えることもできるかもしれない。》

この章を読んでいて、私は子どもの頃の自分の母を思い出した。

母は、尋常ではないほど私に干渉した。「お前を生まなければよかった」と言われたことは一度もないが、毎日のように私の部屋に突入してきて「お前はどうしようもない人間だ」と大声で怒鳴り、大暴れして因縁をつけてくる母は常軌を逸していた。私に「出て行け」と叫ぶ母の気持ちは「母をやめたい」と翻訳してもよかったと思う。

「女の幸せは男の甲斐性で決まる」とハッキリと口に出す時代を若い女性として過ごした母。女は結婚して専業主婦になって子どもを生むのが当たり前であり、子育てが女の一番の仕事、と言われていた。母はそれを当然として受け入れながらも、自分のやりがいのある仕事を辞めなければいけない理不尽に対して、自分でもコントロールしようのない桁外れの怒りのエネルギーを常に溜めていたんだと思う。《子どもの気持ちを盾に世間に対しては黙って》はいたが、結局はそれを一人っ子の私にぶつけた。

母の葛藤は私には重すぎた。子どもがその思いを受け止めるのはもちろん、聞いてあげることも不可能だ。私は深く傷ついたし、いまだにトラウマの部分もある。私の代わりに誰か大人たちが、母の後悔と苦しみの葛藤を聞いてあげてほしかった、そうしたら幾分、私へ向けられた攻撃はゆるくなっていたのではないか。