「子どもに聞かせることが目的ではない」

「子どもに聞かせることが目的ではない」という本書の意向に同意したい。その意図は「今の自分を受け入れるため」「誰かと共感するため」「社会に対して意見表明するため」であり、決して世間への文句だけで終わってはいない。

私の母の時代は、「後悔を許されない」というよりも、「後悔したとしても他の道が許されていなかった」と思う。いまだに世間は母の「後悔」に厳しいが、こうして本になって語ることができ、「後悔」という気持ちを自覚し他者と語れるということを、“前進している”と捉えていいのではないかと思う。

そんな私自身にも後ろめたさがあった。

2年半前、私は『母親になって後悔してる』の書評漫画を依頼されて書き、発売記念イベントに出演した。

表向きは平気な顔をしていたが、実はこのタイトルの本に関わることが公になることに心底ビビっていた。家族がいる自宅には絶対にこの本を持って帰らなかった。

心配ごとはたった1つ、「自分の子どもたちにどう思われるか」ということ。

当時まだ小学生と保育園児だった子どもたちがこの先大きくなった時に、自分の母親がこの本に関わる仕事をしてたと知って「お母さんは私たちを産んだことを後悔してるんだ」と思ってしまったらどうしよう、と恐怖で震える感覚があった。

母親に課される重責の苦しさ

それでも書評を引き受けたのは、『母親になって後悔してる』が子どもを持ったこと自体を後悔している、という意味ではなく、母親という立場になっただけで耐えられないほどの重責、重たすぎるあらゆるものがのしかかってくる様子を指していることを分かっていたから。そしてそれがどんなに苦しいかを、私自身も知っているからだ。

このたった11文字の言葉の並びを、自分の子に見られたら……と想像するだけで尻の穴から凍ったものが逆流してきて恐ろしさで頭がいっぱいになること、そしてそれを誰にも言わずに平然を装うこと自体が、私が母親として背負っている重圧そのものだった。