イスラエルの社会学者、オルナ・ドーナトさんが著した『母親になって後悔してる』への日本の女性たちの反応などをまとめた『母親になって後悔してる、といえたなら』が出版された。両方の書籍を読んだ漫画家の田房永子さんは「母親の、子を大切に思い慈しむ気持ちと、自分自身という人間を生きることは別であるという認識がもっと広がることで、男性や社会も母親を助けやすくなると信じたい」という――。
ベビーベッドで寝ている赤ちゃん
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「大変なものを生んでしまった」

はじめて出産した次の日の朝、私は真っ白な灰となり「大変なものを生んでしまった……」と絶望した。

入院先が「完全母子同室」の産婦人科だったため、夜6時に生まれてその2時間後から育児が始まった。早朝になるまでたったの8時間で、人間の赤ちゃんの世話をすることがどれだけ過酷なことかを十分に理解した。

『ママだって、人間』田房永子(河出書房新社)より
漫画=田房永子
ママだって、人間』田房永子(河出書房新社)より

赤ちゃんはすごくカワイイが、泣き出すとみるみる顔が真っ赤になって中心にしわが寄って硬い梅干しのようになる様子が強烈に怖かった。

性器がビリビリに破け疲れきってボロボロの状態で、カワイイと怖い梅干しを行ったりきたりする生き物と個室に二人きり。そんな異常空間で、泣きの訴えはただひたすら全力で私一人に向かっている。逃げられない恐怖。

最もこわいのは、泣き声を聞くと自分の体が自動的に動き、吸われすぎて皮膚がちぎれて激痛になっている乳首をまた赤ちゃんの口に当ててしまう、自分の体が今までにないムーブを次から次へとやること。今までの私は、もうどこにもいなくなってしまったかのようで。

『ママだって、人間』田房永子(河出書房新社)より
漫画=田房永子
ママだって、人間』田房永子(河出書房新社)より

妊婦の時は「陣痛は痛いよ~」と知人からも見知らぬ人からも、面と向かって言われることが何十回とあった。しかし生んだあと赤ちゃんを連れて歩いていると「大変でしょ?」と言われるようになる。不思議なことに「陣痛、痛かったでしょ?」とは誰も言わないのである。「寝れなくて大変でしょ?」「小さいと大変でしょ?」とにかく「大変」以外の表現が何もない世界に突如囲まれる。

それは「大変だったら私がベビーシッター代を出してあげるわよ」とかそういう話ではなく単なるコミュニケーションなので「そうなんですー、大変です。でも赤ちゃんがかわいいからへっちゃらです」という返答が一番無難で好まれる。ということを私は学んでいった。

『ママだって、人間』田房永子(河出書房新社)より
漫画=田房永子
ママだって、人間』田房永子(河出書房新社)より

世界に衝撃を与えた母親たちの叫び

2022年、イスラエルの社会学者(博士)オルナ・ドーナトさんによる『母親になって後悔してる』が発売された。「子どもを愛している。それでも母でない人生を想う。」と帯文が付いたこの本に記された母親たちの叫びに、世界中が衝撃を受けることになった。

日本でも大きな反響が寄せられ、その中の“日本の母親たちの声”を取り上げたのが今回紹介する『母親になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち』(新潮社)だ。NHK記者の髙橋歩唯さん、NHKディレクターの依田真由美さんによる、8人の母親たちのインタビューが読める。

育てにくい長男やアレルギーの長女のことを、育児に関わる機会のない夫に相談すると「考えすぎるのは良くない。頭で考えずに母性で考えればいい」と言い切られてしまう“美保さん”や、子どもができた後も希望のキャリアを叶えていく父親と、全てを諦めなければいけない母親である自分にやりきれなさを感じながらも「母親とはそういうものだ」と自分に言い聞かせた“吉川さん”。

10代で交際相手の子どもを妊娠し母親にならざるを得なかった“松田さん”は、自治体の児童福祉課を訪れ、受けられる支援について尋ねると、窓口の男性から「こうなったのはご自身の責任ですよね」と告げられる。

「ファミレスでいつも素うどん」への辛辣なコメント

ネット上でも母親が助けを求める声や漏らす愚痴に世間は非常に厳しい。

10月の終わり、SNSで本書の本文(p88-p89)を引用した、翻訳家でエッセイストの村井理子さんのポストがバズっていた。

「家族でファミレス、お母さんは子どもも食べられるよう素うどんを頼む。夫は特に気にせず激辛担々麺。ようやく子どもが食べ終わったあと、テーブルに残っているのは食べ残しの伸びた素うどんだけ。それをかきこむ日常。自分の好物も忘れる生活。辛すぎる。
#母親になって後悔してるといえたなら」

これに対して、被害者意識が強すぎる、夫とコミュニケーションを取れば済むことだ、親の自覚がなさすぎる、などの辛辣なコメントが嵐のように寄せられていた。

おそらく子育て中の女性と思われるアカウントからも、生理的嫌悪が丸出しとなった拒絶的なコメントが爆発していたのが印象的だ。

一人で育てることになって困っている女性や、自分の食べたいものを言語化したり夫にも要件を伝えたりできないほど自分自身を透明にして「母親」をやっている女性の、ようやく口から出てきたつぶやきにも世間は容赦ない。

ネットを見ているだけでは、「被害者意識をこじらせた自業自得」と叩かれる人たちに一体何があったのかを知ることは難しい。

本書では、彼女たちに起こった出来事が、その視点からじっくりと語られる。何を抱えてきたのかを知った瞬間に、彼女たちを責めるような言葉は体内に引っ込み、「ではどうしたらいいか」という具体的なアイディアが生まれるチャンスにもなるだろう。

素うどん
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「子どもの気持ちを盾に」黙らされてきた母親たち

9章の「子どもはどう思う?」では、母親が後悔を語ることで起きる子どもへの影響にもくわしく触れている。

《これまで母親たちが後悔を言葉にできなかったのは、こうして「母親の幸せ」と「子どもの幸せ」が二者択一のように天秤にかけられ、子どもの幸せを優先させるべきだとする力が働いてきたからなのだろう。見方を変えればこれは、子どもの気持ちを盾に母親たちが黙らされてきたのだと捉えることもできるかもしれない。》

この章を読んでいて、私は子どもの頃の自分の母を思い出した。

母は、尋常ではないほど私に干渉した。「お前を生まなければよかった」と言われたことは一度もないが、毎日のように私の部屋に突入してきて「お前はどうしようもない人間だ」と大声で怒鳴り、大暴れして因縁をつけてくる母は常軌を逸していた。私に「出て行け」と叫ぶ母の気持ちは「母をやめたい」と翻訳してもよかったと思う。

「女の幸せは男の甲斐性で決まる」とハッキリと口に出す時代を若い女性として過ごした母。女は結婚して専業主婦になって子どもを生むのが当たり前であり、子育てが女の一番の仕事、と言われていた。母はそれを当然として受け入れながらも、自分のやりがいのある仕事を辞めなければいけない理不尽に対して、自分でもコントロールしようのない桁外れの怒りのエネルギーを常に溜めていたんだと思う。《子どもの気持ちを盾に世間に対しては黙って》はいたが、結局はそれを一人っ子の私にぶつけた。

母の葛藤は私には重すぎた。子どもがその思いを受け止めるのはもちろん、聞いてあげることも不可能だ。私は深く傷ついたし、いまだにトラウマの部分もある。私の代わりに誰か大人たちが、母の後悔と苦しみの葛藤を聞いてあげてほしかった、そうしたら幾分、私へ向けられた攻撃はゆるくなっていたのではないか。

「子どもに聞かせることが目的ではない」

「子どもに聞かせることが目的ではない」という本書の意向に同意したい。その意図は「今の自分を受け入れるため」「誰かと共感するため」「社会に対して意見表明するため」であり、決して世間への文句だけで終わってはいない。

私の母の時代は、「後悔を許されない」というよりも、「後悔したとしても他の道が許されていなかった」と思う。いまだに世間は母の「後悔」に厳しいが、こうして本になって語ることができ、「後悔」という気持ちを自覚し他者と語れるということを、“前進している”と捉えていいのではないかと思う。

そんな私自身にも後ろめたさがあった。

2年半前、私は『母親になって後悔してる』の書評漫画を依頼されて書き、発売記念イベントに出演した。

表向きは平気な顔をしていたが、実はこのタイトルの本に関わることが公になることに心底ビビっていた。家族がいる自宅には絶対にこの本を持って帰らなかった。

心配ごとはたった1つ、「自分の子どもたちにどう思われるか」ということ。

当時まだ小学生と保育園児だった子どもたちがこの先大きくなった時に、自分の母親がこの本に関わる仕事をしてたと知って「お母さんは私たちを産んだことを後悔してるんだ」と思ってしまったらどうしよう、と恐怖で震える感覚があった。

母親に課される重責の苦しさ

それでも書評を引き受けたのは、『母親になって後悔してる』が子どもを持ったこと自体を後悔している、という意味ではなく、母親という立場になっただけで耐えられないほどの重責、重たすぎるあらゆるものがのしかかってくる様子を指していることを分かっていたから。そしてそれがどんなに苦しいかを、私自身も知っているからだ。

このたった11文字の言葉の並びを、自分の子に見られたら……と想像するだけで尻の穴から凍ったものが逆流してきて恐ろしさで頭がいっぱいになること、そしてそれを誰にも言わずに平然を装うこと自体が、私が母親として背負っている重圧そのものだった。

子を思う気持ちと、自分を生きること

今回、『母親になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち』の書評は、抵抗なく引き受けた。おそらく、少し大きくなった子どもたちと意思疎通ができるようになり、私がどんな人間であるか、どんなに彼らを愛していて、初めて会ってから10年以上経った今も、会えたことがうれしいと感じていることを、彼らも分かってくれているだろうという、まあ実際は分からないけど、そんなつながりを日々感じているからだと思う。

それに、2年前にこういった本が世の中に登場したことで、意識的にも無意識的にも、人々の心の中に「そりゃあ、母親は大変なんだから、『つらいな、自分を取り戻したいな』と思うことは自然なことだろう」という認識がうっすらとでも生まれた、若しくは母親たちが自分の後悔を許した、というのもおおいにあると思う。

母親の、子を大切に思い慈しむ気持ちと、自分自身という人間を生きることは別であるという認識がもっと広がることで、男性や社会も母親を助けやすくなると信じたい。