掃除が嫌いだったのが嘘のようだ

2つ目は、去年再び部屋探しをすることになったが、その際、一戸建ても候補に挙がりロボット掃除機は使いづらい可能性があった。選んだ部屋も、アパートの3階だが入り口は1階、という変則的なレイアウトである。2階のクローゼット内にシャークをスタンバイさせ、階段のゴミが気になったら掃除できるようにしている。

3つ目は、夫婦して掃除の機動力が上がったので、機械に働いてもらう必要性を感じなくなったことである。夫も私も掃除が嫌いだったのが、嘘のようだ。それは部屋が広くなったうえ工夫の仕方を覚えてモノを置いた床面が減っていたこともあり、キャニスター型からの解放感が大きかったからである。

もちろん将来、スティック型でも間に合わなくなる可能性はある。しかし、そのときはロボット型を買うのではなく、家事代行サービスに頼みたい。結局、人間が一番きめ細かくていねいな掃除ができるからである。

阿古 真理(あこ・まり)
生活史研究家

1968年生まれ。兵庫県出身。くらし文化研究所主宰。食のトレンドと生活史、ジェンダー、写真などのジャンルで執筆。著書に『母と娘はなぜ対立するのか』『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『「和食」って何?』(以上、筑摩書房)、『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(以上、新潮社)、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)などがある。