誤解されている「トラウマ」の実態

このように、生物というのはトラウマの“強度”に対しては意外な強さを見せます。しかし、反対に、その生物にとって不利な環境など、適応の前提を奪ってしまうようなタイプのストレスにはとても弱いことがわかります。また、ストレスに対処するしくみも比較的短期での対応を前提に作られており、長期にわたりストレスに対処し続けることは苦手であることがわかります。

トラウマ研究は、こうしたストレス研究の知見とは切り離されて研究が進んできたため、「トラウマ」について「危うく死ぬまたは重傷を負うような」強度の高い経験をその基準としてきました。

従来のトラウマの基準は、ご紹介したような動物や人間の実態からは乖離があり、誤解を招いてきたことがわかります。例えば、家庭内での機能不全の影響や慢性的なストレスの影響が軽視される結果となってきたのです。

泣いている女の子を励ましている女性
写真=iStock.com/Hakase_
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日常のストレス社会の中にある「トラウマ」との接点

何がトラウマになるか? については、ストレス研究の知見などから参考になるものがあります。

それが「予測可能性」「コントロール可能性」「感情の表出」「ソーシャルサポート」といった不調をきたしやすい条件です。

人間にとって、将来が予測できない、自分で状況をコントロールできない、感情表出や発散が制限される、周囲からの支援やサポートがない、といった状況はトラウマを生む要件と考えられます。

実際に、読者の皆さんも職場で休職に追い込まれた方の状況や、パワハラ、モラハラを思い出されるとそれらが上記の条件を満たしていることがわかるのではないでしょうか?

例えば、精神的に追い詰めるハラスメントは、ストレスを受けても感情表出や発散が制限されます。気まぐれに襲う嫌がらせなどから予測可能性、コントロール可能性を奪われます。ハラスメントが激しくなり、逃げ場やソーシャルサポートも失われると対処が不能になり、うつに陥るなどしてその状況から退避するしかなくなってしまうのです。

このように見ると私たちは家庭や職場、学校など日常生活において人間関係の変化などちょっとしたことで、こうした条件を満たす状況が生じることがわかります。

「トラウマ」とは戦争や災害といった特殊な出来事ではなく、日常に存在しています。