体調が優れずに思うように動けずに落ち込むときにはどうすればよいのか。がん専門の精神科医の清水研さんは「親の教育方針が関与して、『~しなければいけない』という『must』が生まれてしまい、それができないと自己肯定感が下がってしまう。『must』の束縛から逃れるためには、過去を振り返る作業をするとよい」という――。

※本稿は、清水研『不安を味方にして生きる:「折れないこころ」のつくり方』(NHK出版)の一部を再編集したものです。

親の教育方針と「must」

自己肯定感が低いままだと、生きづらくなります。その背景には「must」の存在が強くあり、「must」が生まれるプロセスの多くには親の教育方針が関与しています。

たとえば、「一流の学校を出なければダメだ」という親の価値観を引きずり、「学歴が低い自分はダメだ」という自己否定と長く(時に一生)闘うことを余儀なくされるなどです。

では、自己肯定感の低さは親の責任なのかという疑問が生じますが、これについてはさまざまな見方ができます。子供をコントロールし、強い負の影響を与える親は「毒親」と呼ばれますが、その表現には賛否両論あり、多様な意見があることが見てとれます。

そのひとつは、自分の在り方を省みるための視点です。親の強い支配に苦しんでいる人にとっては、支配者に「毒親」と強烈にネガティブなラベリングをすることで親と自分を切り離し、自由になれると思えるのかもしれません。

夕日の丘の上の女性シルエット
写真=iStock.com/guvendemir
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自己肯定感の低さは「毒親」のせいなのか

一方で「自分は悪くない」という免罪符を得ることになり、「こうなったのは親のせいだからしょうがない」と、自分の在り方を省みなくなるという意見も聞かれます。

また、親の立場からすれば、子供のことを一生懸命考えての行動であり、その背景にはひと昔前の価値観や親の親(子供の祖父母)からのしつけの影響もありそうです。自己否定は世代間で連鎖するという事実は知られており、「毒親的な行動」は受け継がれるとも言われます。そうなると、子供のために良かれと思っている親を「毒親」と決めつけるのは酷ではないでしょうか。

さらに、子供に対する支配の程度によっても、「毒親」の意味合いは変わってきます。「毒親」を超えて犯罪者と言うべき虐待もある一方で、子供の被害意識が強いあまりに「毒親」とラベリングしているようなときは子供の意見に反発したい気持ちが生まれます。

このような多くの視点があるので、私は自己肯定感が低いことの苦しみは「毒親」によるものだと単純化することはできません。ただ、苦しみの多くは親との関係に端を発しているのは確かであり、その人が自分の親を「毒親」だと思わざるをえない気持ちを否定してもいません。