親と対等な関係になって感じたこと
私自身も、自己肯定感の低さに苦しんできました。両親は「おまえは詰めが甘い」「努力が足りない」と厳しい言葉を投げつづけ、私は自分に自信がもてませんでした。高校生の頃は周囲の評価ばかりを気にして、自分自身を見失っていました。
一時期は両親の育て方に怒りが湧き、かなり反発していましたが、いまは文句を言う気持ちはなくなりました。終戦前後に生まれた両親にはやむを得ない事情があったと理解でき、育ててもらったことにも感謝しています。
私個人の考えですが、親の心理的支配と闘っている最中には、ときに親を「毒親」とラベリングするような、劇薬と思える方法も必要な場合があります。闘いのあとで支配から離れられたら、親と真に対等な関係を築けます。そのときには「毒親」のような強い言葉は必要がなく、むしろ違和感をもつのではないでしょうか。
「あなたと親の関係など、私の悲惨な経験からすれば甘いものだ。だからそんなことが言えるんだ」と思う人もいるでしょう。親という存在に対する想いは人それぞれですが、私の体験からはそう感じます。
なぜ自分に厳しいのか
抗がん剤治療の終了後、なかなか体調が元に戻らない古田恵理さんが、また私の診察室を訪れました。前回の診察の際に、きちんと家事をこなせないご自身のことを否定する古田さんに対し、私は「なぜ自分のことは厳しく律しようとするのか、考えてみてください」とお願いしました。そのときから2週間がたちました。
「前回のとき私は、古田さんがご自身に厳しい考え方をするとお話ししました。その後どのようにお過ごしですか」
「相変わらず“こんな自分じゃダメだ”と思ってしまい、落ち込んでいます。先生に言われて、“そこまで完璧を求めなくてもいいじゃない”と思うのですが、つい“それじゃダメだ”という想いが勝ってしまうんです」
「なぜ自分をそこまで律するようになったのか、その原因を考えてみたでしょうか?」
「いろいろ考えてみましたが、あまり思いあたりません。やっぱり自分が弱い人間だからではないでしょうか」
「must」から自由になる方法は、その程度によって異なります。自分の規範意識が強すぎると気づき、意識的に改められる人もいます。