批判を避けるだけで精いっぱいに見える

「家事=女性」という固定観念が変化すること自体は好ましい。しかし、今はまだ、洗濯CMは批判を避けるだけで精いっぱいに見える。洗剤一つ入れるのに、5人も体力がある男性が大騒ぎするアタックZERO、男性が中心に洗濯をする乾太くん。それ以外の企業は、当事者の描写を避けた宣伝になっている。男性が家事をするように描けば真似になる、という判断なのだろうか。それとも、それらの企業では、まだまだ男性が当事者になりにくい現状から、あるいは社内の女性が家事をするはず、という意識が変わらないが炎上は避けたいから、無難な表現を選んでいるのだろうか。

ここで引き合いに出したいのが、料理回りの家事CMだ。実は料理の分野では、社会学者の田中東子東大教授らの調査で、2014年に男性が料理するCMが多数派になったことが分かっている。昭和後期の私の子ども時代は、味噌汁や煮物を味見する女性が、当たり前のように描かれていたし、平成になってもしばらくは台所の担い手が女性、というイメージは社会で共有されてきた。

料理をするCMに男性が出ても違和感がない

しかし今は、料理する場面を描くCMに男性が出ることに、違和感を抱かない人も多いと思われる。男性タレントが自分の腕前を披露するバラエティ番組も、シェフの男性の現場を描くドキュメンタリーやドラマも、もはや珍しくない日常の光景となったからだ。そして、実際に家庭で台所を担う男性の数は少ないとはいえ、男性が料理すること自体を恥ずかしがらなくなった時代の変化が背景にある。

パスタを提供する男性
写真=iStock.com/miniseries
※写真はイメージです

もちろん、CMだけが、世の中の風潮を決めるわけではない。しかし、昭和以降に幸せな核家族像が定着し、女性のワンオペによる家事や育児が当たり前と思われるようになった背景には、テレビの映像による刷り込みもある。男性が料理することに抵抗感を抱きにくくなった変化には、テレビの効果もおそらくある。

もしかするとこれからはCMの影響で、男性が洗濯を引き受けるようになるのだろうか。今後は男性が洗濯する描き方が自然体になり、洗濯は男性がしてもおかしくない、と皆が刷り込まれていく。そうであるなら、男性が楽し気に外で洗濯物を干すシーンも放送して欲しい。中高年には、洗濯物を干す姿をご近所に見られたくないからやらない、という男性が少なくないからだ。とはいえ、ドラム式を推す企業が増えた今は難しいかもしれないが。

阿古 真理(あこ・まり)
生活史研究家

1968年生まれ。兵庫県出身。くらし文化研究所主宰。食のトレンドと生活史、ジェンダー、写真などのジャンルで執筆。著書に『母と娘はなぜ対立するのか』『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『「和食」って何?』(以上、筑摩書房)、『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(以上、新潮社)、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)などがある。