裁判を起こしたのは正当な理由に加え、評価に傷ついたから
このケースも例外なく、十分な対話なき会社側の一方的な「評価・処遇」への怒りであり、決して軽くない訴訟のプロセスを鑑みるに、その前には相当の「傷つき」があったことが考えられるのです。
ですので、先ほどのメーカーエンジニアの事例もクレジットカード会社の事例も、やはり、裁判したくて裁判するような奇特な人はいないわけで、「会社を相手取って裁判だなんて、困った問題社員だなあ」なんて思う以前に、どうしようもないこじれた状況で司法に託す、彼女の窮地を理解することが不可欠です。
怒りというのは二次感情であり、怒りの前には「傷つき」があります。一次感情である「傷つき」を「傷つき」のままに、まず内省のうえ、ことばにできる場があったのなら……と悔やまれます。
このような一方的で乱暴な処遇はそもそも論外ですが、せめて、「この処遇にはさすがに傷つきました。お互いが見ているものをまずは議論の俎上に載せたうえで、歩み寄れる点を見つけたいです」と言える環境がもしあったなら――会社側も、人事命令の前に、「傷つける意図はないけど、ショックを受けていると思う。今回の背景には本当は、あなたにこういうことを期待していて、それに対して今はこうだと、我々の目には見えているんです」などと冷静に、しかし人間の心情に配慮した〈対話〉ができていたら――と思わずにはいられません。
会社内で社員の心情に配慮した「対話」ができていたら…
ここは声を大にして言いたいポイントです。怒りの前に悲しみ・傷つきがあり、その時点で〈対話〉ができれば、会社は余計なエネルギーをつかって紛争解決に奔走したり、解決できず誰かを一方的に排除するようなまねをしたりせずにすむのです。
しかし少なくない職場で、「目線合わせ」こそが〈対話〉の本丸であるはずが、目線合わせを申し出た時点で、「めんどくさい人フラグ(旗)」が会社側から個人に対して立つことが少なくありません。責任(responsible)の語源は応答可能性(respond+able)です。
互いに責任を果たすには、自身が見えている世界を双方が説明し合う以外にないはずなのですが……。
忖度や空気を読むことを貴ばれるわが国においては、なかなかフラットに「話し合いたいのですが」と言い出せないところがあり、これがまた問題を根深くしているとも言えそうです。
組織開発専門家。1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に独立。組織開発を専門とする。二児の母。2020年から乳がん闘病中。著書に『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。