即位した嬴政と、商人から大臣に成り上がった呂不韋の決別
では呂不韋は? そもそもこの乱の元を手繰れば、嫪毐を太后にあてがった呂不韋にたどり着く。商鞅が作った秦の法に則れば、連座制で呂不韋も処刑されるところだ。しかし、それまでの貢献によって酌量され、相国の座から降りて封土で暮らすよう命ぜられた。呂不韋は自分が作りだしたキングに背いた罪で、失脚したのだ。
こうして呂不韋は歴史の舞台から退場する。それにしても、豪商から他国のキングメーカーとなって政治を操り、国の安定と文化の保護にも努めた呂不韋は、いつの時代でも権勢を振るうことのできる人物に見える。その剛腕と人望を、政は畏怖したのかもしれない。ともあれ国内の乱が収まって以降、政は秦の実権を完全に掌握し、君主が自ら政治を行なう親政体制を本格的に固めていく。
政が成人する前から、秦は韓・魏・趙・燕・楚による合従軍を打ち破るなど、すでに強大な軍事力を誇る国となっていた。国のあり方を一変させた商鞅の変法断行から100年あまり、政が王となったときにはすでに中華統一への土台は整っていたのだ。
政がどのように六国を平定したかは、ここではあえて触れない。『キングダム』のこれからの展開を楽しみにすることにしよう。
1962年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了、文学博士。専門は中国古代史。著書に『後漢国家の支配と儒教』『諸葛亮孔明 その虚像と実像』『図解雑学 三国志』『三国志 演義から正史、そして史実へ』『魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国』などがある。新潮文庫版の吉川英治『三国志』において、全巻の監修を担当した。