社員教育に手厚い三菱、成績が良ければ給料アップの三井
次に教育・登用面だが、三菱は製造業が主体なので、社員教育は比較的手厚い。製造業ではずば抜けた天才が一人いてもそれだけでは回らない。組織的にチームで動くので、むしろ教育で底上げして、均質的な秀才を増産する方が合理的だ。
対する三井物産は教育より抜擢を重視した。クリエイティブなセンスを教育で修得させることはできない。それより、そういった人材を早めに見つけて引き上げた方が合理的である。ちょうど秦豊吉が三井物産に願書を出した頃(1910年代)に三井物産常務・山本条太郎が若手社員10名を突如抜擢し、5割の増給を実施した。
思い切った人材登用をする三井物産もエラかったが、それを見た三菱商事の対応も見事だった。当然、三菱商事でも、このような思い切った社員抜擢による効果を狙うべきだと意見が出た。しかし、当時の社長(岩崎久弥か)は「この三井の抜擢は山本氏あってこその優れた措置であるが、三菱に果たしてそれを査定する山本氏に匹敵する人物がいるであろうか。若し抜擢に的確性が欠ければ、効果どころか著しい弊害が起こるであろう」と指摘し、抜擢人事を行わなかったという(三井物産編『追想録 向井忠晴』)。
ビジネスセンスがある人を抜擢し大きい権限を与える
三井物産では人材を抜擢するだけでなく、現場に大幅な権限移譲を行って、その才能を思う存分活用させるように努めた。
三井物産の支店長の権限は絶大で、銀行などの取引先は「こんな広範な権限を支店長に与えて、よく間違いがおこらないもんだ」と嘆息したという(野田一夫『財閥 経営者にみる生態』)。そして、成果を出した場合には莫大な報酬を約束した。
三井物産は各部・各支店が独立採算制を敷き、好業績の部署・人材には思い切ってボーナスを弾むことを惜しまなかった。信賞必罰で、5円ぐらいの昇給が普通だった時に、成績をあげたものは一挙に50円も昇給した。その一方、不成績だと容赦なく左遷させられた。
これに対し、三菱商事というか、三菱財閥では、各部門の稼ぎ高でボーナスに差をつけるということはなかったらしい。「岩崎(小弥太)さんの考えでは、各部門に人を配分するときも、本社が任命して、お前は倉庫をやれ、お前は銀行をやれという具合にやったわけだから、実績は必ずしも本人だけの責任ではない。したがって儲からんから差別をつけるというのは道理に合わないことになる」(野田一夫『財閥 経営者にみる生態』)。