「絶対防衛圏」は米軍によって破られつつあった
芳夫が召集解除となった6月には米軍がマリアナ諸島に侵攻し、7月にサイパン島が陥落した。米軍は占領した島々で航空基地の建設を進めている。これが完成すれば、東京を含むほとんどの都市がB29長距離爆撃機の攻撃圏内になる。空襲の恐怖が現実化してきた。また、10月にはフィリピンのレイテ島にも米軍が上陸し、台湾や沖縄などにも敵機の襲撃が頻発していた。南方から日本へ資源を輸送するシーレーンが寸断され、国内の物資不足はさらに深刻になっている。
戦況が劣勢になってきた前年の御前会議で「絶対防衛圏」が定められた。戦争継続のため必要不可欠の支配領域を決めて地図に線引きし、その内側には絶対に敵を入れない防衛体制を構築するというものだが、敵はその絶対防衛圏を突破して日本列島に迫っていた。絶対防衛圏の内側に敵を入れてしまえば、もはや戦争継続は不可能……。誰もが解っていることだった。しかし、軍や政府、国民も「停戦」や「降伏」を口にする勇気がない。
ついに三度目の召集で病弱な夫も兵隊に取られてしまう
誰も「止めよう」とは言えず、惰性のように戦いがつづく。もはや軍需物資や人的資源はほぼ尽きていたのだが、常軌を逸した上層部は国力を最後の一滴まで絞りつづけて戦争を継続しようとする。
兵士に不適格とされた者も戦場に送られるようになった。近所を散歩するだけで息を切らすような老兵が、重い装備を担いで戦場を走らされる。芳夫のような病歴のある者も同様、次々に戦場へ送られた。いれば何かの役には立つだろう、と。
昭和20年(1945)1月、芳夫に再び召集令状が届く。今度は召集解除とはならず、兵営に入って戦場へ赴くための教練を受けることになった。体の弱い夫が軍隊の厳しい生活に耐えられるだろうか? 心配になる。また、各地の戦場では部隊の全滅が相次いでいる。戦場に行けば戦死する確率が極めて高い。夫と永久に離れ離れになるなんて、想像しただけでも恐ろしい。