セレブ感で話題、「風、薫る」の捨松
NHK連続テレビ小説「風、薫る」(脚本・吉澤智子、原案・田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』)に、多部未華子が演じる大山捨松(旧姓・山川)が登場し、実在した伯爵夫人(のちに公爵夫人)ということもあって、注目を集めている。
主人公・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)の人生に大きな影響を及ぼす存在であり、明治時代、まだ珍しかった洋装のドレスをまとって「鹿鳴館の華」となった捨松だが、その実像はドラマが描く以上に数奇だ。
安政7年(1860年)3月16日、会津若松に生まれた捨松は、日本初の女子留学生の一人であり、大学を卒業して学士号を得た最初の日本人女性でもある。華やかな称号の陰に、8歳の砲弾体験から始まる激烈な半生が隠れている。
会津で籠城、未来の夫から砲撃
捨松の幼名は「さき」、のちに「咲子」。父は生まれる1カ月ほど前に病死しており、母・えんと祖父・兵衛重英、15歳年長の長兄・浩(大蔵)が父親代わりとなって咲子を育てた。えんは「唐衣」の雅号を持つ会津藩屈指の歌人で、子供たちに軍記物を読み聞かせ、懐剣もすぐ抜けるよう袋を短めにするほど厳格だった。「ならぬことはなりませぬ」という会津の教えを骨の髄まで叩き込まれた末娘に、慶応4年(1868年)8月、8歳のとき、戦禍が降りかかる。
戊辰戦争最後の激戦地となった会津若松城の籠城戦。ある日、食事中に砲弾が炸裂し、長兄・浩の妻トセが大やけどを負い、咲子自身も首に傷を負った。「母上、母上、どうぞ私を殺してくださいませ。あなたの勇気はどこにいってしまったのですか」と懇願するほど苦しんだトセは、まもなく息を引き取った。このとき会津城下に砲弾を撃ち込んでいた新政府軍の砲兵隊の指揮官の一人が、後の夫・大山巌(当時は大山弥助)である。
後年、明治37年(1904年)にアメリカの雑誌『トゥエンティース・センチュリー・ホーム』に掲載された捨松自身の手記にはこうある。
「不思議なことに、将来私の夫となる人が敵軍の中にいて、この夜間の襲撃の際負傷したのです。私が注意深く積み上げていた大砲の弾を打った敵軍の一人と結婚することになろうとは夢にも思いませんでした」
砲弾を拾い集めた少女と、その砲弾を撃った男が、やがて夫婦になる。歴史はときに、小説よりも奇妙な筋書きを用意する。