「男と張り合おうなんて百年早い」
男女差なく働ける大手企業なんてなくて、当時無名だけれど伸び盛りだったリクルートに入れたのは運がよかった。たまたま大卒女子の大量採用がスタートしたときでした。当時の東海地区に住む女性としては、レア中のレア、パンダいや、ツチノコくらい珍しい……って知らないかツチノコ、今の子は。
配属先は営業部でした。夜10時まで残業が当たり前で、疲れ切って帰宅すると、玄関で母が仁王立ち。
「何やってたの? 女の子がこんな時間まで」って。で、仕事してたというと、「そんなわけないでしょ!」と信じてもらえない(笑)。営業先では「女が担当? バカにすんな」と言われるし。社内は平等だったけど、それでも、いい案件を取ってくると「女はいいよなあ。ニコニコしてりゃいいんだから」と言う人もいました。逆に売れないと今度は、「どうせ腰掛けなんだろ?」「そろそろ結婚したら?」「男と張り合おうなんて百年早い」などなど。
営業では結果が出せなかったので無理もないんだけれど、そのあと編集に異動できてなんとか結果も出せるようになって張り切っていた4年目、26歳の時、当時、1人暮らしをしていた私の家に、母親から手紙が届いたんです。「お母さん、あなたの結婚はもう諦めた。娘が嫁に行かず、親のそばにいてくれんのもいいことかもしれないと言い聞かせてる」だって。26歳独身って、あのころは絶望的だったわけです。
育休なき時代は、12月出産が鉄則だった
その翌年、27歳で縁あって結婚し、翌々年には第一子を授かりました。その頃、仕事は充実していて、まだ辞めたくないという軽い気持ちで、勤めを継続することに決めました。当時はチーフだったので、毎日夜10時まで働く。お腹はどんどん大きくなるから、廊下ですれ違う人たちが口々に「すごいな」「胎教に悪くないか」と、物珍しそうに言ってきました。
当時まだ育休なんてありません。産前6週、産後8週の産休しかないんだけれど、その産休さえ取ろうとしたら総務に「産休? 何それ? 支社じゃ取った人いないから、東京本社の総務に聞きます」と言われて。実家の母は母で「やっと辞められるね」、夫は「好きにしたら」という反応。本当に「働くママ」はツチノコでした。
ちなみに、その頃は「産むなら年末」と言われていたんです。そうすると生まれてすぐ保育園に翌年度の入園の申し込みができるし、産後8週間と有給使って、3月末まで休める。で、4月になって保育園に入園というわけ。育休のない時代の知恵ですね。でも私は職場で第一号だし、そういうこともわかっていなくて5月に出産。産後8週で8月復帰という、とんでもないスケジュールでした。