「これまで」という時間軸、「今この瞬間」という時間軸

一つの問題を見つけたら、同じメンタルモデルや構造を背景として、似た問題が他にも量産されている可能性を想像することが必要になります。今回のように、要するに「自分ばっかりいいとこ取りしてる」ことがたくさんあり得るのです。

こうして考えてみると「今までちゃんと写真を撮ってなくてごめん」と言うのは、謝罪としても、これからの対策を考える上でも、あまりにも近視眼的かつ本質を突いていないことが見えてくるように思います。

そんなときに、いつも例に出す話があります。それは「時間軸を長く取る」ことです。家を作ること、綻んだら繕っていくこと、これは一夜にして仕上がるものでは決してありません。長い年月をかけて、少しずつ居心地のよい場所にしていく必要があります。

しかし、これまで自分のことばかり考えて、自分の居心地をよくすることにしか関心を持っていなかった人と、これまで二人のことを考えて、二人にとってよい場所にしようとしてきた人とでは、あまりにも大きな「受け取ってきたことの差」があるのです。しかし、時間軸をスクリーンショットのように「今、ここ」に持ってしまうと、まるで「自分のほうが損をしている」「自分ばっかり頑張っている」ように感じてしまうのです。

空間と時間の認識のズレ

これは恐ろしいことです。自分がどれだけ受け取ってきたかをなかったことにして、今から、これからだけを考えて、勝手に絶望しているからです。むしろ、その絶望をパートナーに伝えてしまったら、パートナーの絶望は二重にも三重にも深まり、取り返しがつかないダメージを与える可能性さえあります。

なぜなら空間・時間ともに認識に大きなズレがあるからです。空間という意味では、「自分だけ」という見方から空間を広げて「私たち」として考えることをしていないズレがあります。

孤独になる言語化

現象=パートナーと子供の写真を撮らない

パターン=自分が子供と楽しんでいるとき
構造=自分のことしか勘定に入れていない
メンタルモデル=損したくない。楽しさは奪い合い

人と生きる言語化

現象=相手にも嬉しい思い出を残せる

パターン=相手にとって大事そうな場面において
構造=相手の楽しさを知ろうとする
メンタルモデル=楽しさを分け合うと倍になる