空間と時間のズレがパートナーを傷つける

そして、時間という意味では「今だけ」というところから時間を広げて「これまでとこれから」として考えていないことのズレがあるからです。この2つのズレを思い知らされることは、パートナーにとっては本当に傷つくことでしょう。

多くの場合「今回はどっちかが損することになっちゃうけど、次はどっちも嬉しい選択をしたいよね」とか「前回はそっちに我慢してもらったから、次はそっちが嬉しいことを優先しようね」と、時間的なズレが生じることのほうが普通です。

それなのに「今だけ」しか見ることのできない人は、時間的なズレが生じたときには「自分が今まで受け取ってきたもの」や「相手が我慢してくれていたもの」を帳消しにしてしまうのです。

家のたとえに戻るなら、机の上を掃除しただけで家事をした気になっているのです。その机を作ったのは誰か、掃除道具を用意したのは誰か、そういったことがすっぽ抜けてしまうのです。

「相手が喜ぶことをもう一度考えよう」と思うこと

尊重の言語化を経て、相手の希望に応えている中で疲れることもありますが、それで本当に居心地が悪くなったら関係を終了してもよいのです。

中川瑛『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社) 

しかし、最近自分ばっかり損しているかもと思いそうなとき、そもそもこれまで自分にとって居心地のよい空間だったのは誰のおかげなのか、あのまま自分にとってだけ居心地のよい空間だったなら、いつかパートナーは家を出ていっていたかもしれない。もしそうなっていたら「損」どころの騒ぎではなかったのではないか、と考えることもできるのではないでしょうか。

そうして相手がどんなことを大切にしているのか理解していくうちに、ここだ! と気づいてパートナーとお子さんが幸せそうに眠っている様子を無音カメラで撮影するかもしれません。おしゃれしてママ友とお遊んできた帰りに、服もメイクもぱりっとしているときにお子さんとの笑顔の写真を撮影することかもしれません。子どもがぐずったときにお散歩に行こう! と気を逸らしつつパートナーにゆっくりした時間を持ってもらえることかもしれません。寝起きで日焼け止めを塗るのが面倒なパートナーの代わりに、朝のゴミ捨てをするようになることかもしれません。

しかしそれらも間違っているかもしれません。「こうしたら喜んでもらえるかな」と思ってやったことが、相手に喜ばれないかもしれません。そんなときにいかに「どうせ自分なんてダメだ」「こんなに頑張ってるのに酷い」などと自己憐憫に浸ることなく、相手が喜ぶことをもう一度考えようと思うことに、愛することの本質があります。

そうするとまた、パートナーも男性を「私たちの世界を作ろうとしてくれている」と信頼できるようになり、またパートナーからも共生の言語化をしてもらえることが増えていくことでしょう。

中川 瑛(なかがわ・えい)
「GADHA」代表

妻との関係の危機から自身の加害性に気づき、ケアを学び変わることで、幸せな関係を築き直した経験からモラハラ・DV加害者変容に取り組む当事者団体「GADHA」を立ち上げる。現在は加害者個人だけではなく、加害的な社会の変容にも取り組んでいる。