空気ではなく言葉を読む
「そんな(ヒットラーのような)ひとりの人間に、全国民の運命をゆだねるようなことをしてはならないと思う」と、勇気をもって発言した者に対して、君たちはこう言えるだろうか?
それって、あなたの感想ですよね?
ヘンテコリンな決め事がなされる時は、多くの場合は話の中身や理屈の組み立てのできの良さ悪さではなく、そういう方向に行く空気だったし、流れ的にそれに逆らえなかったしモヤモヤしてたけど、キャラを変えるわけにはいかなかったからしょうがなかったという理由でそうなる。
空気や流れやキャラ演じではなく、言葉を行き交わせて議論をすることは、面倒でもやっぱりものすごく大切なことなのだ。
空気じゃない。言葉を読もう。話そう。「そうかなぁ」でもいい。
話そう。モヤモヤし続けるかもしれないけれど。
話そう!
……え?
みんなの前で。キョージュだし。
ん? そうだけど?
そうなのだ。実は、まだそこの話に触れていないのだ。
というか、これまでの政治や民主主義の本は、だいたいみんなここに踏み込まないで、その手前で「言いましょう!」「声を上げましょう!」「シュタイテキなシミンになりましょう!」と呼びかけて終わりにしたのだ。
つまり「言えない人たち」のことはとり残して、先に進んだのだ。
しかし、この本は違う。言ったでしょ? 「はじめに」で。
まだ誰もトライしたことのない本を書いたんだって。
「言えないよ」だったよな。
言えないよな。そうそう言えない。言えれば言うが、言えない。
そのことは、きちんと受け止める。そして、ちゃんと言っておく。言えないこと自体は、善悪や正誤の話とは関係がない、と。無理に言わなくても、まずはそのままの君たちを肯定する、と。
でもそれは放置するということではない。そんなことをするはずがない。
君たちの居場所を言葉にしておくということだ。
1962年東京都生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。専修大学法学部教授。民主主義の社会的諸条件に注目し、現代日本の言語・教育・スポーツ等をめぐる状況に関心を持つ。著書に『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)、『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)などがある。