何代もの親子を振り回す「愛情」というワード

間違ったアプローチをする親に、もちろん悪気はありません。みな、子供のためを思ってしていることです。

「子供のために自分の時間を削るのが愛情だ」
「お父さんの帰りを待って、コミュニケーションを持たせるのが愛情だ」
「早くから教育を受けさせるのが愛情だ」

と、皆さん思っているのです。

この「愛情」というワードは厄介です。愛情自体は素晴らしいことですが、何をもって愛情とするかの解釈は、ひとりひとり違います。日本における子育て論は、かれこれ50年以上も、客観的な指標なしに「愛情を注ぐべし」と世の親に言い続けてきました。

その端緒は、1960年代にあります。イギリスの精神科医・ボウルビィの「愛着理論」を下敷きとした「三歳児神話」というものが、日本の親たちの間で熱く支持されました。3歳までは母親がつきっきりでスキンシップをとるべし、という「おきて」を守って生きたお母さんたちが、「愛情」にとらわれた第一世代です。

彼女たちは、高度経済成長期における「モーレツ社員」の妻たちです。サラリーマンとして働く父親と、家事育児に専念する母親という組み合わせが、当時はもっともポピュラーな家族のかたちでした。

その子供たちは、現在40代~50代を迎えています。興味深いのは、2000年代以降にさかんになった、いわゆる「毒親本」の著者が、だいたいこの世代に該当することです。母親の愛情が重かった、何かにつけて束縛された、過保護にされて苦しかった、といった恨みつらみが、大人になってから噴出した形です。

親指を下に向け、否定を表現する人
写真=iStock.com/Jay_Zynism
※写真はイメージです

子供たちがひずみを見せ始めている

一方でこの世代も、自分たちが思うところの「愛情」を子供たちにかけています。

彼らが親になった平成期は、お受験ブームに象徴されるように、教育と愛情が分けがたく結びついた時代です。しかし、教育熱心な親に育てられた子供たちが道を踏み外しやすいのはすでに述べた通りです。10代後半~20代となった子供たちがそのひずみを見せ始めたことで、教育偏重の育て方の弊害も顕在化しています。

では、これからの世代はどうすべきか。現在子育て進行中のお父さん・お母さんが注ぐべき「愛情」とは何か――ここまで読み進めてこられた皆さんなら、もうお分かりでしょう。