何を読ませるかの前に子どもの教育をどうするかが先

これに対して、たとえばイギリスのパブリックスクールでは、伝統や社会規範に従うことに重きを置いた教育が行われています。個人の自由を重んじる一方で、共同体的な価値観にも重きを置いていて、ルソーの自然主義的な教育論とはかなり趣を異にしています。

イギリスの教育については、自らがパブリックスクールで学んだ英文学者の池田潔の『自由と規律――イギリスの学校生活』(岩波新書)や、パブリックスクールで教鞭を執った経験を綴った松原直美の『英国名門校の流儀 一流の人材をどう育てるか』(新潮新書)が参考になります。

「子どもにどのような本を読ませたらよいか?」という質問に対する直接の答えにはなっていませんが、そのような質問を問う前に、これらの本も参考にしながら、そもそもお子さんの教育についてどう考えるのか、一度、ご家族で話し合ってみることをお勧めします。

子どもが頭に本を乗せているイメージ
写真=iStock.com/Roman Chekhovskoy
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読書は自分を導いてくれる「灯火」

結局のところ、自分の答えというものは「自分自身で考えるしかない」ということなのですが、そうはいっても突然、「それでは自分で考えてください」と言われたところで、果たして何の取っ掛かりもなしに考えることはできるものでしょうか。

ここに、読書というものが存在する意味があります。

なぜなら、ただ「考える」といっても、人間は「考える材料」と「考える枠組み」がなければ、ものごとをきちんと考えたり、思考を発展させたりすることができないからです。ものを考えるために、私たち人類は、文字と本というものを発明しました。そして私は、読書こそが、「考える材料」を集め、「考える枠組み」を構築する手段としてもっとも優れたものなのではないかと考えています。

本を読めば、人間にはじつにさまざまなものの見方や考え方、価値観があることがわかり、それら人間のさまざまな思考の軌跡を、読書を通じて容易に追体験することができるからです。

そのようにして、「考える材料」を自分の中にどんどんインプットし、自らの血肉としていくことで、自分の頭で「考える」ためのベースができていきます。

そうした「考える」ための指針、あるいは自分を導いてくれる「灯火」として、読書を活用すればよいのです。