家康は千姫をかわいがり、死去直前にも「会いたい」と連絡した

思えば千姫の母である江も、落城による悲劇を経験しています。一度目は、父の浅井長政が織田信長と対立し、居城の小谷城を攻め落されたとき(1573年)。長政は自刃します。二度目は、義父の柴田勝家が羽柴秀吉により越前北ノ庄城を攻められたとき(1583年)。このとき、江は義父の勝家と、実母のお市を亡くしています。そして、江の子の千姫も、大坂の陣において、夫の秀頼を失う。親子2代にわたる悲劇。千姫はどのような思いで日々を過ごしていたのでしょうか。

大坂の陣の後、家康は千姫の侍女「ちょぼ」に宛てて、手紙を書いています(実質的に、千姫に宛てた書状)。病となった千姫を気遣う内容です。元和2年(1616)1月にも、家康は千姫の侍女に手紙を書いていますが、そこには、千姫の病が癒えたことを喜ぶ言葉が記されています。駿府にいる家康は、秋になり、江戸に下向して、千姫に是非とも面会したいとも書いています。

徳川家康肖像画
徳川家康肖像画〈伝 狩野探幽筆〉(画像=大阪城天守閣蔵/PD-Japan/Wikimedia Commons

しかし、同年4月、家康は75歳で病没するので、孫娘との対面を果たすことはできませんでした。千姫は夫・秀頼を失い、傷心の日々だったでしょうが、祖父・家康のことを恨みに思っていたようにも思えません(複雑な感情はあったかもしれませんが)。自分の体調を気遣ってくれる祖父をありがたいと感じていたのではないでしょうか。家康が亡くならなければ、秋に対面していたでしょう。2人は何を話したでしょうか。

濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師を経て、現在は大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。