戦前戦中なんかじゃない、80年代半ばの話である。

当時の魔女の年齢をとうに過ぎた今の私は、彼女も合格数アップという命題を担任一人で背負わされ、仕事に一生懸命だったのだとわかる。あの時代の価値観でギリギリ許されるアプローチを取ることで女子軍のように生徒を統率し、期待だけは大きい保護者を黙らせ、学力レベルもバラバラのクラスの底上げと個々人の学力増強を図ったのだ。

結果は開校以来の合格者数と合格校の内容。自分の想像以上の難関校に進んだ生徒がたくさんいた。記憶の範囲では、さすがにブスだのデブだの直接的な言葉を言わなかっただけ、手を上げなかっただけ、あの先生はまだ正気だったのかもしれないと思う。

だが、深い心の傷はそれぞれの子どもの中に残った。

その頃からだ。私には何か自分が失敗したり恥と感じたりすることがあると、内側から突然噴き上げるようにして「死んだ方がいいな」という自己否定の言葉が口をついて出てくる癖がある。

“女の園”で育まれた過剰な完璧主義

その後進んだ女子校にて、私は女子だけの演劇部で宝塚的な男役に選ばれてしまうなどしながら、女の園ならではの風景や感情のあり方を見聞きし、学習した。その女子校は学力ハイレベル中のハイレベルであったために、暴力的なもの言いなどはまったく出現しないが、優秀な女子、競争で選ばれる女子というものは、そもそものありようとして度を越して完璧主義なのである。

英語で「オーバーアチーバー」と呼ばれるもので、やりすぎるくらいのレベルまで到達して初めて自分に満足する、一種の過剰適応である。競争に勝つ男子同様に、競争に勝つ女子もまた、高い理想を抱き、自分で自分を追い詰め、達成する精神力と能力と体力があるから競争に勝っているわけだ。すると、育成や指導の上で「私にはできることが、なぜあなたにはできないのか」という苛立ちが生まれることもあるだろう。

宝塚で受け継がれてきたもの

女の世界をよく知っている者ならば、宝塚歌劇団と、その下の育成組織である宝塚音楽学校という場所には、それと同じメンタリティーが、さらにパフォーマンスアートというジャンル特有の価値観をもう一枚まとって脈々と受け継がれてきていただろうと容易に想像できるのではないだろうか。優れた女子伝統校における上級生と下級生間のスキル伝承に、体育会的な上下関係と一種の粗野さを交え、しかも歌劇であるゆえに容姿にもプレッシャーがある。

「(これまでの伝統に忠実で)清く」「(技術的に完璧で)正しく」「(容姿も当然)美しく」というモットーの通りに、あれほどの大組織で競争を続け、会社が組む猛烈な興行と稽古をこなす心身の負荷の中にパワハラやいじめと呼ばれる厳しさが生まれないことの方が不思議だし、そういった厳しい指導のさまもまた「芸ごとならではの美しい世界」との精神論で許されて、いやむしろ崇められてきたのではないかと感じるのだ。

兵庫県の宝塚劇場
写真=iStock.com/winhorse
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