茶々は秀頼が関白になれなかったことに衝撃を受けたか
むしろ注目すべきは、公家衆たちが、わずか10歳前後であった秀頼が、関白に任官することがありうると考えていたことだ。
そうすると関白の地位が、武家の場合においては、もはや天皇の後見役というような名目にとらわれるものではなくなっていたことがうかがわれる。武家と公家とでは、同じ関白という地位にあったとしても、その役割はまったく異なるものとなっていた、ということであろう。であるからこそ、わずか10歳前後の秀頼であったにもかかわらず、「豊臣関白家」の格式にあることをもって、関白の任官が可能とみられていたのであろう。
そうするとやはり、茶々にとっては、秀頼が関白ではなく、内大臣に任官したことに大きな落胆を感じたのであろうと思われる。それが再びの「気鬱」となったのかもしれない。その直前に、茶々が家康と何らかの交渉などを行っていたのかどうかまではわからないが、なれない政治交渉に携わっているなかで、大きな落胆があり、気分を激しく悪化させたとすれば、納得できるように思われる。
1965年生まれ。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。博士(日本史学)。専門は日本中世史。著書に『下剋上』(講談社現代新書)、『戦国大名の危機管理』(角川ソフィア文庫)、『百姓から見た戦国大名』(ちくま新書)、『戦国北条五代』(星海社新書)、『戦国大名北条氏の領国支配』(岩田書院)、『中近世移行期の大名権力と村落』(校倉書房)、『戦国大名』『戦国北条家の判子行政』『国衆』(以上、平凡社新書)、『お市の方の生涯』(朝日新書)など多数。近刊に『家康の天下支配戦略 羽柴から松平へ』(角川選書)がある。