聖母マリアでさえ母になることに戸惑った

実は聖母マリアも、あの有名な「受胎告知」の場面でキリストの母になることを拒否しています。光臨した天使に「あなたは、キリストの母になるのだ」と告つげられ、「どうしてそのようなことがありましょうか」と拒んだのです。

当時、マリアは16歳か17歳だったといわれていますから、突然のお告げに戸惑い、そう答えたのも無理はありません。

しかしそのあと、マリアは落ち着きを取り戻し、こういいました。

「Let It Be(仰せのごとくわれになれかし)」

わかりやすくいうと、「お言葉どおりになりますように」という意味です。

ジョン・レノンの歌で有名な「Let It Be」は、キリストの母になるという運命を受け入れたとき、マリアの心の中から湧いてきた言葉でした。

聖母マリアでさえ、みずからの運命を受け入れるために、考え、咀嚼する時間が必要だったのだ。そう考えると、少し救われる思いがします。

マリアと幼子イエス
写真=iStock.com/Kara Gebhardt
※写真はイメージです

迷う自分を否定しない

なにかを依頼されたとき、自分には無理だと感じたり気が進まなかったりしても、実際に、断るのはためらわれるものです。「断ると、嫌われるかもしれない」「せっかくいってくださっているのだから」という思いが湧いてきます。相手への申し訳なさや罪悪感を覚えるからでしょうか。

しかし、自分の心を正直に感じてみましょう。

そして、もし答えがNOなら、その感覚に素直に従い、一度は相手に問い返してもいいと思います。

神垣しおり『逃げられる人になりなさい』(飛鳥新社)
神垣しおり『逃げられる人になりなさい』(飛鳥新社)

それでもなお、やるべきだと思うのなら、それは「神の思し召し」と受け止め、承諾してみる。そういった方法もあるのではないでしょうか。

私自身も、校長職を一度拒否したからこそ、「仰せのごとく」と受け入れる姿勢が整いました。神様が「やりなさい」とおっしゃっているのかもしれない。そう考え、引き受けたのです。

迷ったり拒んだりする自分を否定せず、いったん認める。その上で、「それでも、やってみよう」「やはり、やるべきだ」と判断したら受け入れる。そうやって、自分の素直な心と向き合いながら進んでいくと、新たな世界や可能性が広がっていきます。

神垣 しおり(かみがき・しおり)
ノートルダム清心中・高等学校校長

広島県出身。ノートルダム清心中・高等学校卒業後、広島大学教育学部在学中に、香港大学人文学部留学を経験し、国際協力・支援も志す。広島市立中学校教員(臨時採用)を経て、1983年よりノートルダム清心中・高等学校社会科教員として勤務。仏教大学通信制により、宗教科の免許取得後、2004年より宗教科も担当。2018年よりノートルダム清心中・高等学校の校長を務める。