この騒動を解決して家康は伏見城に入り政局ナンバー1に

家康は今回の騒動を利用して、三成を中央政界から追放したと見ることもできます。ちなみに、三成を佐和山まで護送したのは、家康次男・結城秀康でした。三成は秀康の労を感謝し、正宗の名刀を秀康に贈ります。この刀は「石田正宗」と称され、現在は東京国立博物館に所蔵されています。

騒動を解決した家康は、閏3月13日、宇治川対岸にある伏見向島の屋敷から、伏見城西丸に入ることになります。これを聞いた奈良・興福寺の多聞院英俊は「天下殿になられ候」と『多聞院日記』に家康のことを記しました。関ヶ原合戦の前年ですが、家康を天下人と見做す認識は既に存在したのです。

龍潭寺の石田三成像(=2021年5月30日、滋賀県彦根市)
写真=時事通信フォト
龍潭寺の石田三成像(=2021年5月30日、滋賀県彦根市)

※主要参考文献一覧
・笠谷和比古『徳川家康』(ミネルヴァ書房、2016)
・藤井譲治『徳川家康』(吉川弘文館、2020)
・本多隆成『徳川家康の決断』(中央公論新社、2022)
・濱田浩一郎『家康クライシス』(ワニブックス、2022)

濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師を経て、現在は大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。