裕福でも孤独は感じる
二〇一四年にバラクが公衆衛生局長官に任命したあと、医師のヴィヴェク・マーシーがまっ先に取り組んだのが、全国をまわって健康と幸福について国民から話を聞くことだった。
彼が何より強い印象を受けたのが、孤独を感じている人の多さだ。「男性、女性、子ども。高度な訓練を受けて専門職に就く人。商売に従事する人。最低賃金で働く人。どれだけ教育を受けていても、裕福でも、成功していても関係なく、どの集団も例外ではないようだ」とマーシーは二〇二〇年の著書『ともにいること――ときに孤独な世界で、人間のつながりが持つ癒やしの力』に書く。ちょうどパンデミックに襲われるなかで刊行された一冊だ。コロナウイルスが友情や社交のパターンを打ち壊す前から、アメリカ人は人生に欠けているのは居場所がある感覚だと一貫して語っていた。つまり、ほかの人たちといて「アットホーム」だと感じる単純な気持ちのこと。
ホームの感覚を探し求めている人が、とてもたくさんいる。それをなかなか見つけられないのは理解できる。マーシー(のちにバイデン大統領のもとで公衆衛生局長官に復帰した)の調査では、人びとが孤独を認めるのに気まずさや恥ずかしさを覚えがちなこともわかった。自立が国民の美徳と見なされる文化では、とくにそれが当てはまる。依存心が強いとか未熟だとか思われたくないし、仲間はずれだと感じていることも認めたくない。それなのに、まさにそういうメッセージを送るためにつくられたシステムに多くの人が身を委ねている。
現実世界で友人を作るということ
Instagramを少しのぞくと伝わってくる。しあわせになり、愛され、成功する方法をみんなが見つけている――自分のほかはみんな。
人と本当のつながりをつくると、これをすべてやわらげることができる。わたしが語っているのは、InstagramやFacebookで“友だち”をつくることではなく、一対一の、対面の、現実世界での関係のこと。それによって、オンラインで出くわすことの多いフィルターを通して手を入れられた存在ではなく、現実の人生に触れられる。本物の友人関係では、自分のフィルターも取り除く。本当の友人たちは、メイクをしていないわたし、照明がうまく当たっていないわたし、いやな角度から見たわたしの見た目を知っている。取り乱したわたしを見たことがある。たぶんわたしの足のにおいまで知っている。でもさらに重要なのは、いちばん本当の気持ちを、いちばん本当のわたしを知ってくれていて、わたしもみんなのそれを知っていることだ。