逃げたり避けたり、あきらめたりしない

川嶋さんは2022年夏に自ら創刊した『オン・ナーシング』でも、その重要性を説いている。「療養上の世話」の重要性を再確認する出来事に、現場でも、現場を離れてからも、これまで幾度も出合ってきたからだ。東日本大震災の被災地で仮設住宅に住んでいた70代の男性との出会いも、そのひとつだった。

一人暮らしの男性は、高血圧でも酒や煙草をひかえず、周囲がいくら病院への受診を勧めても心を閉ざし、聞く耳を持たなかったという。そこで川嶋さんが訪問した際、「ちょっと失礼します」と言って、紫色になった手を黙って30分ほどさすり続けると、指先が少しずつ温かくなっていく。次は冷えた足だとさすっているうちに、彼は自らぽつぽつと被災したつらい心情について語りだし、帰り際には、部屋にあったギターを照れながら弾いてくれたという。

「看護の本質とは、看護師の手を用いるケアにあります。相手の思いに寄り添いながら、直接肌に手をふれることで、その人が持っている自然治癒力を引き出すことができるのです」

それは川嶋さんが看護師になりたての頃、トシエちゃんという瀕死の少女からも学んだこと。お湯とタオルと石鹸を使い、彼女の身体をきれいに拭くことで生きる力を取り戻す姿を見たことが原点にある。

今、90代になっても、川嶋さんは健筆をふるい、看護界に叱咤しった激励を送る。いかに風当たりが強くてもひるまず、困難と闘い続けてきた姿勢はなお揺らがない。

「今もふくめ看護界で過ごした日々は闘いでした。でも、困難こそが、私のハードル。乗り越えられると喜びがあるから、人生は楽しいの。だから私は困難に直面したら、いつでもかかってこいと受けて立つ。逃げたり避けたり、あきらめることなく、乗り越えて見せるという気概をもつことが大事なのです。今現場で働く看護師のみなさんも、これまでは矛盾や疑問を外部に発言することはなかったと思いますが、現場から大きな声を出さなきゃ、ダメなの。批判されることを怖れていては、現状はいっこうに変わらない。おかしいこと、間違っていることは山ほどあるから、もっと声に出していってほしいのです。サイレント集団から脱皮しなければ」

看護の未来を考えると、働く現場をもっと良くしていかなければと思う。

「だから、まだまだ死ねないの」と笑う川嶋さんの目は少女のように輝き、そしてとても力強い。

歌代 幸子(うたしろ・ゆきこ)
ノンフィクションライター

1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。