看護現場の「問題の本質」は変わっていない

そんな川嶋さんが職場を離れる決意をしたのは、ちょうど40歳になったとき。川嶋さんがセカンドステージで取り組んだのは、「後進の教育」だった。

埼玉県三郷市に新設される病院で、看護職員の教育プログラムに携わった後、1984年に日本初の“民間の臨床看護学研究所”を開設。すると、川嶋さんの噂を聞いたと各地から研修の応募があり、九州、四国から飛行機で通う参加者も出るほどの人気となった。

川嶋さんが現場から教育へと駆り立てられた胸中には、看護自体の在り方が変質していくことへの危機感があったという。

「看護の現場にある、問題の本質は全然変わっていないんです。それは、人手不足で仕事に忙殺され、看護本来の役割をなかなか果たせなくなっていること。看護師には、2つの業務『療養上の世話』と『診療の補助』があります。医師の指示に従って行う採血や点滴、医療機器の操作などが『診療の補助』で、看護師が主体的に患者さんをケアするのが『療養上の世話』です。長年にわたって『診療の補助』にヒューマンパワーを割かれ、思うような『療養上の世話』が叶わない環境に、私たちは葛藤を抱えてきました」

数々の功績により、ナイチンゲール記章を受賞。写真右は受賞式にて(第41回 2007年)。左:ナイチンゲール記章。
写真提供=川嶋みどりさん
数々の功績により、ナイチンゲール記章を受賞。写真右は受賞式にて(第41回 2007年)。左:ナイチンゲール記章。

職業としての看護

近年では、医師が行う医療行為のうち38項目を「特定行為」と定め、看護師に移譲する研修制度が始まった。それによって看護師が診療の補助を超えて、さらなる医業を行っていくことに川嶋さんは強い疑問を抱いている。

「本来、看護師が主体的に行う『療養上の世話』とは、患者さんの生活行動を援助することです。ナイチンゲールも『職業としての看護は、小さなこまごまとしたことから成り立っていて、その中で高度の優秀性が求められる』と言っています。まさに食べたり、トイレに行ったり、眠ったりすることは誰にでもできそうですが、高齢になっても、その人が自分でやっていたのと同じようなレベルで援助するのは大変なこと。実は高度の専門性が要求される援助で、これこそが職業としての看護なのですね」