原作ではアイを死に追いやった事情が示されている

【推しの子】』はどうなっているだろうか。原作コミックスの『【推しの子】』では、「何がアイを死に追いやったのか」「なぜアイは死なねばならなかったのか」という問いへの答えが、既刊の中ですでに示されている。

©赤坂アカ×横槍メンゴ/集英社・【推しの子】製作委員会

ただし、答えは読者のみが知る情報として三人称的に描かれるに留まっている。言い換えると、読者は答えを握っているとしても、アクアなどのキャラクターたちが一人称的に答えに辿り着くプロセスが残っているのだ。そのとき私たちの関心は、「アクアがどうやってアイの死の真相に至るのだろうか」「その真相を知ったときに彼は何をするのだろうか」という謎に惹かれ始める。

『【推しの子】』は、不在の中心という強力な推進力を持った物語の形を採用していた。しかし、スペースシャトルが発射するときに、燃料タンクを捨てながら飛び立つように、謎を組み込んでは捨てながら多段階で推進力を用意してもいた。それこそ、『【推しの子】』がアニメ化を機に世界的にブレイクし、2023年を象徴する物語となったひとつの決定的な要因だと言える。

谷川 嘉浩(たにがわ・よしひろ)
哲学者、京都市立芸術大学 講師

1990年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在、京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。哲学者ではあるが、メディア論や社会学といった他分野の研究やデザインの実技教育に携わるだけでなく、企業との協働も度々行っている。著書に『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(筑摩書房)、『鶴見俊輔の言葉と倫理』(人文書院)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎、共著)、『働き方と暮らし方の哲学』(丸善出版、共著)『公式トリビュートブック「チ。―地球の運動について―」第Q集』(小学館、共著)など多数。翻訳に、マーティン・ハマーズリー『質的社会調査のジレンマ』(勁草書房)など。